2019/7/20の記録
協力隊任期終了まで残り約60日。
— 大村康太@プロコーチ (@KotaOhmura) July 20, 2019
①心が健康になった
②自分にとっての働き方の向き不向きが分かった
③意外と生きていく上で必要な生活用品は少ないことに気づいた→部屋にあるものが少なくなった
④他人に対する許容範囲が少し広がった
まだあるけどこれらがパラグアイでの変化。
任期終了まで残り約60日になりました。
最近だと20歳以下の選手の北中米大会に向けての練習サポートをしています。これが協力隊終了までの最後の大きな仕事。この大会が終わったらあとは全国大会に向けての練習になりますが、残念ながらその大会の前に帰国することになるので試合を見ることができません。
【いよいよ北中米大会へ🌎】
— 大村康太@プロコーチ (@KotaOhmura) July 17, 2019
今日がパラグアイでの最終練習。
ボランティアとしてやれる範囲のことは手助けできたかなと思う。
特にメンタル面。
難しいことは一切していないけど、練習がつまらなくならないように、そして感情の波に左右されないように接してきた。
まずは大会を楽しんでほしい。 pic.twitter.com/3lcxz5u5Z4
選手のメンタル面はいい仕上がりですが、走り高跳びの調子がイマイチなのが気になるところ。前回優勝した南米大会では1m57の自己ベストを跳びましたが、今回は1m50を試合で跳べればいいのかなと思っています。
それにしても補助助走入れてからなんか変なんですよね。カウンターパートが入れたいと言っていたから様子を見ていましたが、なんかリズムの取り方が変で高さが出ない…
前置きが長くなりましたが、任期残り60日程度になっていろいろと感じる変化があります。
- 心が健康になった
- 自分にとっての働き方の向き不向きがわかった
- 意外と生きていく上で必要な生活用品は少ないことに気づいた→部屋にあるものが少なくなった
- 他人に対する許容範囲が少し広がった
協力隊初期の頃は慣れない環境にとても苦労しましたが、今はこの環境に満足しているし協力隊に参加してよかったなと感じています。
心が健康になった
まず第一に心が健康になりました。
日本にいたときは変わり者扱いされてきてとても窮屈な生活を送っていました。何かをやる事に他人からあれこれ言われることがとても嫌でした。そしてそれを気にしながら生きていたので自分らしさが全くなかった。自分らしくしていたいと思いながらも他人の目を気にしていた学生時代。
今はどんなにいいことをしようが必ず外野が口出ししてくるのを覚えたので自分の好きなように生きていいことを理解できましたが、当時は人生が楽しいと思うことはほとんどなかったしそれでうつ病も経験したので本当に心が不健康でした。
パラグアイに来てからはぼく(日本人)自体が外国人なので存在自体が変わり者。そんな中、自分がどうやって現地の人と関わっていけばいいかを考えて活動していく中で「自分らしくしておけばいい」という生き方を見つけることができました。
「こうでなければならない」というのではなく「自分はこういう人間だ」という態度をとり、また他人に対しても「他人は他人」と割り切ることができたことが大きいと思います。他人も認めて自分を認めてもらう。これがぼくにとって大切でした。
思えば過去に変わり者扱いされていたときは「なんで変わり者扱いするんだ」という視点しか持っていなかったのだと思います。変わり者扱いされたとしても「ああそうですか」という他人を認める視点があればもっと自分が自由でいられたのかなと今は思います。
パラグアイに来てから「自分は自分、他人は他人」というのを強く感じることができたから、今は心が健康になったのだと思います。
自分にとっての働き方の向き不向きがわかった
日本で働いていたとき、とは言っても1年にも満たない期間でしたが自分の興味のない分野の仕事をするのは非常に苦痛でした。また、それを長時間やるとなると体力よりも気力を奪われる、その感覚がたまらなく辛かった。
今はとても楽しいんですよね。
- 好きな陸上競技
- 自分のアイデアが生かされる
- ぼくにしかできない指導
- 自分も選手も成長している実感を感じられる
- 働く時間はそんなに長くない
- 課題にぶつかってもそれが好きなことだからよく考えるし、それを越える感覚が楽しい
言葉では表しきれないですが、青年海外協力隊で経験している陸上競技の活動で間違いなくぼくの目指す働き方を見つけることができたんですよね。
ボランティアという立場なのでできることは限られていますが、その制限の中で工夫して自分の好きな陸上競技ができるというのは本当に幸せなことだと感じています。
逆にどんなに恵まれた環境であっても自分が興味のないことであったりとりあえず8時間働かなければならなかったりという仕事はぼくには向いていないのだと感じました。創意工夫ができない仕事はぼくには無理です。
部屋にあるものが少なくなった
これは意外なメリットですが、ものが減りました。
というのは協力隊生活を送っていてもそんなに必要なものってないんですよね。
パラグアイに来る前、初めて海外で2年間生活するということで日本でたくさんのものを買って準備しました。でもいざ生活してみるとほとんど使わない。
いや、使えと言われれば便利に使えるのかもしれないけど、使わなくても済むし、そもそも使っているものがほぼ限られてくるんです。
これは本当に面白い発見でした。
例えばぼくは日本で一眼レフカメラを購入してパラグアイに持ってきました。レンズも4本あります。協力隊初期の頃は使っていましたが今は全く使っていません。
というのは
- 活動中に使うと選手が珍しがって使いたがったり撮られたがったりする
→練習の流れが途切れる - そもそも活動中に写真を撮るタイミングなんてない(陸上競技の場合はですが)
- 写真を撮るタイミングがない活動ばかりしているので、そもそも出歩くこともない(現に2年目は任国外旅行にも行っていない)
- 大きいものを持ち歩くことが疲れる
- 目立つものを持ち歩いてわざわざリスクのある行動をすることが精神的に疲れる
などなどいろいろ理由があります。「いい写真撮るぞ!」って意気込んでパラグアイに来たんですけど、実際は逆でした。
もし協力隊前のぼくにアドバイスするなら、
- カメラが高性能なスマホ1台のみ
- 高級コンデジ(写真も動画も自撮りも、youtubeを撮りたかったらそれ用にも)
のどちらかですね。
「小さいは正義」です。
他人に対する許容範囲が少し広がった
他人を許すようになりました。
というのは変な書き方かもしれませんが、パラグアイの人に何かを期待してもそれが成し遂げられることはほぼないからです(笑)
人に期待しないことで自分がストレスフリーになったということです。
いや、実際はストレスを感じることもありますが、大きなストレスを抱えることはなくなりました。これは心が健康になったにもつながっています。
自分は自分、他人は他人。
相手に何か期待してもその期待通りにいかないときってイライラしますよね?それは他人への期待によって自分の人生をコントロールしようとしているから。他人次第で自分の人生を生きていたらそれは当然思い通りにいくことはありません。
相手に対して「どうして○○しないんだ」「どうして○○できないんだ」と思ってもその現実は変わりません。でも自分でなんとかすればその現実は変わります。だから相手を許して自分でコントロールできることは自分でコントロールすればいいんです。
ぼくは日本にいるときは相手への期待が強かったのだと思います。相手への理想が高かったのだと思います。だから思い通りにいかないと許せないことが多かった。表面上は笑っていても「は?」となることが多かったのです。
今はそれがほとんどありません。「まぁこんなもんかな」くらいになったので、あとは自分でうまくコントロールして楽しく生活や活動ができています。
ほかの協力隊ボランティアがどのようなことを学んでいるかわかりませんが、ぼくはこんなことを学びましたし、それが実生活に変化をもたらしています。
創意工夫ができるようになったとかは正直あまり実感がありません。というのは日本にいた時から創意工夫しようと努力してきたからです。その結果として他人から好奇な目で見られることが多かったのはデメリットでしたが、今はその習慣のおかげで自分がしたいことができています。
活動の成果はともかく、ぼくはパラグアイでこのような変化を得ることができました。日々成果を求めて活動をしていますが、自身の変化と言われるとこれらかなと。
ぼくにとっては協力隊での変化は人生のプラスになっていると感じています。

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