2019/3/14の記録
ほんと、配属先やその国の悪口、その国の人の人格の否定とかありえない。それなのに活動がうまくいかないとか言うな。その国のすべてに否定的なボランティアが活動うまくいかはずないだろと。
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) March 14, 2019
わけ分からない外国人に母国をボロクソに言われる気持ち、考えろ。
そんなに嫌なら帰国しろ。
そう思う。
文化に優劣はないというのはボランティアの基本だし、それは訓練所で学んだよね?と。
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) March 14, 2019
「日本のほうがすごい!ここの国は本当にダメだな‼」という国自体の否定とマウンティングになったらもう…言葉出ないよね、唖然とする。
日本代表以前にボランティアは個人だから。まずは個人の資質高めろと。
ということで、最近そういう話を聞くと胸糞悪くなる。その国の否定+JICAは何もしてくれないというわがまま&否定とか、もうわざわざボランティアやる必要も他国にいる必要もないんじゃないかと思う。
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) March 14, 2019
その国が嫌だったりJICAに不満があるなら日本に帰りましょう。
ただそれだけです。
帰国残り6ヶ月の時点でこんなことをTwitterでつぶやいていました。きついですね、このつぶやき(笑)
やっぱり任国や配属先の悪口を言うことってよくないことです。もちろん活動をしていたら不平不満が募ることもあるでしょう。当然です。文化が違うし言葉も思い通りに通じない、そんな状況で自分の考えを理解してほしいという想いとは裏腹に、現地の人は自分の考えを汲んでくれずに自分たちの仕事をしてしまう。そしてうまくいかない。イライラするのは当たり前なのです。
でも、他国のことを悪く言うことが習慣であるならそれは違います。
文化や生き方が異なるなら仕事の仕方だって違います。その事実は変えることはできないんです、ぼくたちボランティアには。変えられない事実に不平不満を言ったところで何もよくならないし、活動を取り巻く環境がただただ重くなっていくだけです。
やる気がないことが悪なのか?時間を守らないことが悪なのか?
確かにその国をどうにかよくしたいと志してボランティアになった人にとっては目に付くことかもしれません。でもやる気がなくても時間を守らなくても回っている現実があります。時間を守らなければ回らなかった日本で時間を守らなければ物事は進んでいかないと思っていたとしても、時間を守らなくても物事が回っている社会があるのです。つまりどっちでもいいのです。やる気にしてもそう。日本ではやる気のある人が評価されますがやる気と成果はそもそも関係ありません。だから別にやる気があろうがなかろうがどっちでもいいのです。
批判的な人は日本が絶対だと思っていませんか?でも世の中はどんな状況でも回っているんです。むしろ時間を守るとか会社に忠誠を尽くしまくって働いているのは日本を含む少数の国なのです。「絶対」はないんですよ。
日本は確かにすばらしい国だと思いますが、「日本=個人」ではありません。結局活動をする上で大切なのは個人としてどう活動するかです。現地の人から日本人として見られるよりも個人として見られ、その人を見て一緒に協力して活動しようかなって決めるんですよ。だからこそ、ボランティア自身の人間性を現地の人に魅せる必要があるし、魅せる必要があるということはボランティアも魅せる努力が必要なのです。
不平不満を言うことは努力ではありません。相手が変わらないならまずは自分が変わる、自分が動く。自分が変わってから相手を動かすんです。あるいは自分が変わることで相手も勝手に変わるのです。わけのわからない外国人の発言だけでハイハイ言うほど彼らのプライドは低くありません。彼らも生き方に誇りを持っているのですから。
最近任国に対して不平不満しかないボランティアの人には、
- 相手に変わってもらうために、まずは自分が変わろうとしているか
- ただ活動するのではなく、相手に「魅せる」努力をしているか
- 日本の常識とは違う習慣で社会が回っているという事実を踏まえて活動を考えているか
- どんな方法でもそもそもどうにでもなるという楽観的な思考が自分にあるか
これらをもう一度考えてほしいです。別にボランティアはボランティア様ではないのです。自分がやっていることが押しつけになっていないか、もう一度考えてほしいです。

コメントを残す