怒る指導と選手のメンタル

 

要は、「心技体」を見れているかということ。

練習は何のための練習なのか。

肉体的なだけのものであれば、そもそも指導者が選手を見る必要性なんてないんです。

選手にメニューを渡して、あとは勝手に選手が追い込めば肉体的な成長は可能です。

でも、競技は肉体的な能力だけでは勝つことができません。

だから練習するんです。

だからこそ、「練習は何のためのものなのか」を考える必要があります。

 

 

日本の指導と違ってスポーツ現場で体罰を見たことはないけど、強い言葉を使うことが日常的になってしまったら、選手は毎日「いい動きができなかったら怒られてしまう」という意識を植えつけられてしまいます。

それが大きな問題。

練習に来るたびに条件反射的に気持ちが萎縮してしまう環境では、とても選手は100%の練習をすることができません。

誰のための練習かといえば選手の練習です。

日本の指導現場ではよくありますが、指導者が不満をぶちまけるためのものではありません。

 

 

練習の中に「競技結果」しか求めない練習には必ず限界があります。

そしてその限界も早くに訪れる。

タイムの伸びがなくなってしまったら、選手の能力のせいにする。

それを打破するのが指導者の責任。

 

 

せっかく練習手順がとてもよくなったのに、逆に過度な期待によって選手を苦しめているという結果にもやもやしますね。

別にぼくがその練習環境にいてトレーニングをしているわけではないのでぼく自身は競技面で影響を受けることはないです。

でも、それぞれの選手ががんばっているからこそ、その環境で選手がつまらなそうな顔をするのを一瞬でも見ると、ぼくが気落ちしてしまいます。

この点、なんとかならないものか。。。

 

2017年9月から南米パラグアイで青年海外協力隊の陸上競技隊員として活動中。大学ではスポーツを専攻。日本でコーチング後、パラグアイでナショナルレベルまでの選手の育成強化・競技の普及活動、及び小学校体育教育を行っている。
趣味はカメラとトレーニング。ブログとSNSの更新頻度は多め。

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2017年9月から南米パラグアイで青年海外協力隊の陸上競技隊員として活動中。大学ではスポーツを専攻。日本でコーチング後、パラグアイでナショナルレベルまでの選手の育成強化・競技の普及活動、及び小学校体育教育を行っている。 趣味はカメラとトレーニング。ブログとSNSの更新頻度は多め。