最近いつも選手育成に少しでも役立つように改めて勉強しているのですが、今まで自分の思考の範囲外のことが実は競技力向上にすごく有益なのかなぁとか、トレーニングの本質とは何なのかを考えることのいいきっかけになっています。
選手にも伝えましたが、「競技者はアーティスト」だから。
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) 2018年9月3日
指導者の言うことをよく聞いて忠実にメニューをこなすことも選手と指導者の上下関係というか信頼関係というか、そういう面で大切だと思うけど、競技の主体はあくまでも選手だし内的感覚だって人それぞれ違うからこそ、自分の競技人生を作っているのは自分なんだっていう意識をもってくれたらうれしい。
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) 2018年9月3日
パラグアイの陸上競技の問題の一つに、
問題
選手は完全に受身で、練習は完全に指導者次第
があります。
これは前任地でもそうでしたが、基本的にはグラウンドに来ても自分で練習を始めることはありません。
今日何するの?と聞いても、「これからメニューを聞く」と答えるんですね。
なので、そういう選手は指導者からの返信が来るまでは自分からウォーミングアップすることすらありません。
ウォーミングアップなんてほぼやること決まってるじゃないですか。
それすらやらない。
最近は少しずつ聞くことはなくなってきたけど、任地変更後すぐは、「指導者がこういったからこれをやる」という感じでした。
つまり、自分の課題に対するアプローチを指導者任せにしているということです。
指導者は客観視はできても選手の主観までは完全に理解することができません。
主観って人それぞれだからこそ、方法論の中に感覚がないといけない。
そしてそこに感覚が伴っていなければ、目的をもってやることができなければ、課題達成のためのいい練習ができません。
- なぜ
- 何のために
- 意味
そういうのを理解する前に、指導者が言ったからという理由で体を動かすのは大きな問題です。
体を動かすのはって書きましたが、目的も理由もない運動って練習じゃなくて身体動作ですからね。
誰のための陸上競技なのか
って、もう答えは決まってるじゃないですか。
指導者のために?
親のために?
いや、自分自身のためです。
自分の競技人生を完全に人任せにしてしまっているの、どうしてそうしちゃうんだろうなぁ、って疑問に思います。
それがパラグアイの指導者と選手の関係性の特徴といえばそれまでだけど、選手は自分から自発的に自分の競技について考えてほしいなって思います。
自分の競技人生は自分のためなのだから、自分でデザインしなきゃ。
ときどき選手には伝えていますが、
「競技者はアーティスト」
です。
競技人生を完全に人任せにしていたら限界は見えています。
自分がなりたい選手像ってどんなものだろうかって考えて、そこに近づくために自分で試行錯誤してよくなろうと努力する。
それが競技者だと思っています。

コメントを残す