試合に出たときに一緒だった選手からメッセージが届いた。
これだけでも本当に今回の試合は出た意義があった。指導者という立場だけど、こうやって選手として出ることで一気に距離を縮めることができる。
もっと高いレベルで巻き込んで、メッセージくれた子がもっと強くれるようにしよう!
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) 2018年4月10日
次の試合はあと約10日後。
彼はぼくにリベンジしたいようだ。✔互いに刺激し合える。
✔称え合うことができる。
✔「好き」を共有できる。それが大切だと思っている。
ぼくの任地の選手じゃない。
たとえそうだとしても、互いの立場は違えど、お互いが大切な存在になったんだ。— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) 2018年4月11日
普段は指導者として任地の子供を教えていて、空き時間に少しだけ練習する毎日。
大学生の頃のように時間を取ることもできないし、走路はガタガタ。
芝生には牛の糞が転がり、アリの巣によって凸凹している。
普通に走ることすらできない。
そんな制限の多い環境の中で、ぼくも試合に向けてできる限りの練習をしてきた。
そして迎えた、パラグアイで初めて迎えた試合。
練習不足は否めない。
4ヶ月一切走らず、試合の週だけ2回走っただけ。
圧倒的練習不足だ。
当日は下痢、腹痛、湿疹など、コンディションは最悪だったが、自分なりに試合の中で改善して2番になることができた。

ぼくが2番になり、彼は4番で表彰台に登ることもできず、一緒に写真を撮ることもできなかった。
その試合の中でぼくはパラグアイの選手たちとコンタクトをとった。
特に走幅跳の選手は、ぼくの同期が指導している選手。
互いに刺激し合いたい仲間だ。
結局、試合ではぼくが勝って彼が負けた。
そんな彼は悔しいからか、テンションが下がりまくっていた。
コンタクトを取りたくても取れない。
そうしているうちに彼は自分の住む都市へ帰ってしまった。
もっとワイワイやりたかった。
そう思っていた。

彼がいない。3人で写真を撮りたかった。健闘をたたえ合いたかった。
2日後。
彼からwhatsup(南米版LINE)でメッセージが届いた。
選手(ここでは「アミーゴ」とする)
やぁ、康太!元気か?
アミーゴだよ!
ぼく
おぉ!元気だよ!
どうした?しっかり休めたか?
昨日アミーゴのビデオ見たけど、去年に比べたらめちゃくちゃ良くなってるじゃん!
だから自身持って!次の試合は絶対にもっと跳べるから!
選手(アミーゴ)
うん!
康太の跳躍すごかったな!コカコーラ買わないと;(試合で負けたらコーラを買うという謎の勝負を持ちかけられた(笑))
今は元気だよ!試合が終わったあとは悔しかったけど、今は大丈夫!
オレは去年より成長してるよ!
今日だって、おれ、練習で6m70くらい跳べたんだ!
ぼく
おぉー!いいじゃん(^^)!
アミーゴは6m80くらい跳べる力あるよ?だから競技場にいるとき、もっと自信持って!
緊張したらダメだ!
ちゃんと準備して、21日にもう一回一緒に試合しよう!
選手(アミーゴ)
試合までリラックスするよ!
ありがとう、康太!
21日にまた!
コーラを賭けた試合だ(笑)!!
すごく嬉しかった。
こんなメッセージをもらえただけで、本当に試合に出てよかったと思ってる。
勝ち負けが大切なんじゃなくて、ぼくにとってはこうやって「好き」を共有できることが大切なんだ。
互いの「好き」が共通していることってそんなにない。
だからこそ、国も文化も考え方も違う選手であったとしても、好きを共有できることは嬉しいし楽しい。
ぼくが指導している選手ではないけど、そんなの関係ない。
立場が違ったとしても、「好き」な陸上競技を楽しんでいる仲間だから。
ぼくの任地には走幅跳の選手がいない。
だから余計に嬉しかった。
そう思うのは、やっぱりぼくが走幅跳の選手で、心のどこかで跳躍選手とワイワイやりたい気持ちがあるからだ。
彼はぼくの同期が育てている選手。だからぼくは口出しできない。
それでも、存在レベルで互いに高め合える、普段はコンタクトが取れないとしても遠くで頑張るぼくがいる、あるいは彼がいる。
それがぼくにとって大切なんだ。

走幅跳の試合の中で、気持ち、本気をぶつけ合って、ぼくたちは仲間になれた。
今回の大会を通して思ったこと。
それは、「指導者であろうと競技者として互いに競技をすることでしかわからないことがある」ということだ。
ぼくはしばらく走る練習からも離れていて全然調子が良くなかったが、それでも実際にリアルに戦っている時の感情とか感覚って、やっぱり戦わないと味わえない。
指導することでしか感じることができない感情だってある。
それでもやっぱり、勝負の雰囲気とか、負けないぞとか、悔しいとか、やったーとか、そういうのってすごくワクワクする。楽しい。
それを異国の地の選手と共有できることは本当に幸せなことだなって思ってる。
別に試合中にたくさん笑ったわけじゃない。
勝負だから。
でも、そのお互いに勝負、目標に向かって本気で真剣になれる、そんな空気感は格別にいい。
指導者と選手の関係では絶対に踏み越えられないラインを飛び越えた気がする。
それくらい、こんな些細なメッセージでもぼくにとってはとても嬉しい。
本気と本気がぶつかり合う。
それは、たとえ国が違っていたとしてもお互いが共有できる熱いものだ。
気持ちと気持ちが通じ合ったというか、ぼくたちは違いがあっても「仲間」なんだ。
そう思えた。

コメントを残す