選手が練習している時間に同時並行でぼくも練習するようになったときくらいから、カウンターパートの練習メニューの組み立て方が変わった気がする。
もちろん試合期と鍛錬期は練習の考え方が違うけど、それにしてもとにかくバリエーションが増えた。彼が調べ、考えたものということに価値がある。
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) 2018年12月11日
ぼく自身もトレーニングができていいし、それをカウンターパートや選手が見て必要であれば勝手に真似をする、そんな環境もいいのかもしれない。
ぼくがあれこれアプローチしたことは一切ない。でも、きっとどこかから盗んでるから起こった変化。最近のカウンターパートの変化には本当に驚いている。
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) 2018年12月11日
練習のバリエーションが増えつつある気がしています。
任地変更をした時にカウンターパートに「いろいろな練習メニューを教えてほしい」と言われていました。
ぼく、教えるっていう行為があまり好きではないんですよね(笑)
教えるというか行動を促すようにする方が得意。
そしてそっちの方に意味を感じているので。
そんな感じで練習方法の紹介を最小限にとどめていました。
常に教え続けていると「くれくれ」攻撃にあってしまうので(笑)
これはパラグアイ人だけのことを言っているのではなく、与えられることに慣れた人は自主性を損なってしまうんですよね。
だから最小限に紹介を抑え、あとは選手たち自身に考えさせるように心がけていました。
くれくれ攻撃、好きじゃないし。
なんで練習のバリエーションが増えたのかなと考えると、
- カウンターパートが近くにいる状況で選手に「バリエーションは大切だ」としつこく説明していたから
- 実際、新しい動きの習得の中で選手の思考のプロセスが増えたことをカウンターパート自身も感じているから
という理由が挙げられます。
ここから言えることって、ぼく、別にカウンターパートに直接的に働きかけることをしてないということ。
ぼくが「あれやったほうがいい」と言って変化するカウンターパートというか指導者って魅力無いんですよ。
魅力がないというか、ぼくが言ったことをそのまま取り入れてしまうような指導者だったらいてもいなくても同じじゃないですか。
カウンターパートにも個性があります。
ぼくにはないいいところもたくさんあると思っています。
その個性を活かしたいと常々思っていたからこそ、あえてカウンターパートにはあれこれ言ってきませんでした。
その結果が、「カウンターパート自らが動き出した」です。
今ここにある立派な素材を大切にすること。
まぁ、これって言ってみれば「協力隊のモットー」のようなものです、確か。
「あなたたちのこの方法は間違っているからこうした方が絶対にいい。だから一緒に変えていこう!」
って一見すればいいように見えるけど、まぁまぁの侵略行為だと思いますね、ぼくは。
人間、「正解不正解」で生きているわけではないので。
人生において「正解不正解」の基準よりももっと大切なことってあると思いますし。
そして何より、
現地の人のやり方が基礎にあるやり方で成功、成長したほうが、彼ら自身の内なるモチベーションから生まれたものだから再現性も高い
と思うですよね。
だから、ぼくは絶対にカウンターパートのやり方にダメとは言いません。
自分のやり方で結果出たら本人だってやる気が沸いてくるじゃないですか。
そのやる気ってめちゃくちゃ大事だと思います。
そんなことで、カウンターパートが勝手に成長しています。
書き方が雑ですが(笑)、知らないうちに勝手に?、自然に成長しているほうが、流れが急ではなく自然だから、小さな変化でいいと思います。

コメントを残す