青年海外協力隊として任地で活動してから1ヶ月が経過して、何か特技があるということは自分を知ってもらう上で、また交流するうえで大きな武器になると感じました。
絵、サッカー、歌、料理、楽器。なんだっていい。言葉がいらないコミュニケーションツールはものすごく大切だと思います。— 大村康太@パラグアイ協力隊 (@KotaOhmura) December 5, 2017
協力隊とは関係ありませんが、有名人のナオト・インティライミさんも「歌」「サッカー」で世界を旅してたくさんの人と交流してきたというのは有名な話。
見せる、そしてそれで魅せる。どの国の人も一緒に楽しいことをするのは楽しいと感じるし、すごいと思うものは同じようにすごいと感じるはず。— 大村康太@パラグアイ協力隊 (@KotaOhmura) December 5, 2017
協力隊の活動を1ヶ月やって、今は職種の活動「陸上競技」だけで精一杯な状態で自分磨きをすることができていませんでした。そして思いました。このまま陸上競技の活動だけを2年間しても自己成長はない、と。ぼくの人生は青年海外協力隊が全てではありません。その先を常に考える必要があります。
— 大村康太@パラグアイ協力隊 (@KotaOhmura) December 5, 2017
1ヶ月過ごして「特技(自分の強み)」を持つことが本当に大切だと感じたから、ぼくも自分の強みをさらに高めていこうと決心しました。
ぼくが人よりもできてかつ魅せられるものは「縄跳び」。場所を選ばずに自分の体だけで表現できる素晴らしいスポーツです。これにパフォーマンス性を持たせていく。— 大村康太@パラグアイ協力隊 (@KotaOhmura) December 5, 2017
縄跳びって言っても世界には自分よりすごい人なんてたくさんいます。縄跳びをやったところでお金にも何にもなりません。完全に趣味レベル。
それでもぼくは自分自身を魅せる特技がほしい。だから青年海外協力隊としてパラグアイで過ごす2年間でコツコツ自分を成長させていきます。— 大村康太@パラグアイ協力隊 (@KotaOhmura) December 5, 2017
一ヶ月任地で生活して、
人を魅了する「特技」があることは大きな武器になる
と思いました。
なぜなら、活動初期はどんなに自分がプロフェッショナルとして派遣されていたとしても言葉を操ることができなければ赤ちゃん同然だから。
人とのコミュニケーションの基本は会話。それができなければ自分が思った通りに気持ちや考えを伝えられないし、活動もイメージ通りにはいかない。
パラグアイに来た当初は派遣前訓練で学んだ程度の語学力がない状況。現在活動している先輩や過去の先輩に話を聞いても半年位はうまく話せないし聴くこともできないと言います。
じゃあその半年間、うまく話せないし聴くこともできない状況でずっといるのかなぁと思ったときに、ぼくは嫌だったんですね。ただでさえ会話するのが下手だから。
スペイン語がまだまだなのはわかってる。それでも何とかして現地の人と交流したい。
スペイン語は「言語コミュニケーション」です。それ以外のコミュニケーション方法。
それが、「非言語コミュニケーション」。
派遣前訓練でもそうでしたが、たくさんの人がいろいろな趣味や特技を持っていました。スポーツから日本舞踊、カメラ、音楽、ダンス。全て言葉がいらない非言語コミュニケーションです。
実際にぼくも派遣前訓練でスポーツを通して仲良くなった友達もいます。当時人付き合いがあまり得意ではなかったぼくですが、言葉ではない何かを通して人間関係を作ることができたのです。

パラグアイにも日本文化「コスプレ」が存在する。アニメ好きな人もアニメを通してコミュニケーションがとれるはず。

折り紙は子供にウケがいい。

カメラ好きな人だったら自撮りしまくればすぐに打ち解けられると思う。ただし、カメラの管理は必須。
非言語コミュニケーションは同じ空間にいる人が言葉では感じることができないフィーリング、感性を共有することができます。
すごいものは「すげー!」と共有することができるし、歌だって言葉はわからなくてもなんとなく歌うことができる。
そのように感じる気持ち、自分の奥底で感じるものって言葉で共有する必要のない世界共通のものなのだと思います。
文化も違う。考え方も違う。
そんな中でも同じように感じることができるのが「非言語コミュニケーション」だと思います。
実際に小学校に行って子供たちによく聞かれるのは、
- ダンスできるか?
- サッカーできるか?
- 空手できるか?(よくわからないがパラグアイの子供はみんな空手を知っている)
- 歌えるか?
といったようなこと。どれも言葉を必要とせずともに楽しめることばかりですし、楽しい時間を共有できるものです。
あとは折り紙なんかもそうですね。子供たちは見本を示しても折れませんが、手伝って完成させると喜びます。
彼らは言葉が通じない外国人がいたとしてもこれらでコミュニケーションを取れることを知っています。
そしてぼくらもこういった趣味の延長上、特技を披露できれば大いに途上国の人たちと交流できるというわけです。

縄跳びは言葉がいらない。ぼくがデモンストレーションをするとすごく盛り上がるし、サッカー好きな子供たちも積極的に縄跳びをしようとするようになった。
ぼくが行っている小学校の体育の授業では縄跳びを行っています。
もちろん日本の小学生のように上手く跳ぶことはできません。日本の小学生であればどの学校も体育の授業で縄跳びがあるし学年ですごい人は勝手に上手くなっていきますが、パラグアイの小学生は連続で2重跳びができません。なんならあや跳びも後ろ跳びもできません。
そんな中で体育の補助として縄跳びをすることになったのでやったのですが、二重回しや三重回し、四重回しをすると子供たちがものすごく喜ぶんです。
陸上競技隊員としてやってきたのに、メインの活動ではない小学校体育で縄跳びを披露したことで小学生から「ぷろふぇそーる・で・縄跳び(縄跳びの先生)」と崇められる始末(笑)
日本人にとっては当たり前にできることが発展途上国の人達にとっては今まで経験したことがないもので、それが彼らにとっては貴重な経験になるのだと思いました。
それが彼らの将来にどう影響するのかなんて分かりませんが、言葉が上手く通じないぼくたちはその一瞬の時間に言葉ではない何かが通じている。
素敵じゃないですか?言葉が通じなくても何かが確かに通じ合っているということって。

スポーツは言葉いらずで世界共通で楽しめる趣味・特技の一つ。ぼくはサッカーなんて全然できませんが、とりあえず走ってボールを蹴ってるだけで同じように仲間として扱ってもらえる。
一例ですが、ぼくの経験を紹介しました。
縄跳びじゃなくてもなんでもいい。言葉を必要としない「非言語コミュニケーション能力」があればいい人間関係を構築できると思いますし活動もうまくいくと思います。
もちろん語学力を高めることは生活する上でも活動するうえでも必須です。それを怠っていいという話ではありません。
そうではなくて、趣味や特技としての「非言語コミュニケーション能力」があればよりたくさんの可能性が生まれるかも知れないよ、ということです。
ちなみに1ヶ月任地で過ごして縄跳びを小学生に披露したら、運動している瞬間は国技サッカー並にみんな力が入っていました。
縄跳びには人を魅了する力がある。そう思いました。
ぼくは縄跳びが得意な方なので、せっかくの2年間です。自分の趣味程度のレベルにとどめず、人に魅せられる「特技」としてのレベルに高めていこうと決めました。
任地で活動しているだけではなんの能力も育ちません。自分で何かをやることでしか成長しない。
それが専門的なことであっても趣味であってもです。青年海外協力隊は活動以外はたくさんの自由がありますが、その自由を活用するためには自分を律する必要があります。
ぼくの場合は縄跳びですが、趣味や特技としての「非言語コミュニケーション」は青年海外協力隊にとって必要だし大切な能力だと思います。
他人から見たらくだらないと思われるようなこと、他人と比べたらまだまだだと思うこと、そんなことでも発展途上国では大きな価値を生み出します。
言葉がなくても見せることで何か通じ合うことができる。
そんな力があるからこそ、ぼくもそれができて何になるの?と思われるような縄跳びを頑張っていこうと思います。

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