最近ぼくが選手に常々伝えていることを紹介。
【できないことは可能性だよ?】
慣れたことばかりやっていたら、それはただ身体を動かしているだけ。できないことをできるようにしていく、これが練習の本質。こう伝え始めてから、今まではできないからあきらめていたけど少し挑戦するようになった。
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) 2018年10月31日
できないことは可能性だよ?
活動が2年目に入ってから選手に度々伝えていることです。
今までというか、少なくともぼくが任地変更をしてからの4ヶ月間はいつも同じようなトレーニングをこなしていました。
それ自体は悪いことではないと思いますが、これから次のレベルに進みたければ明らかに物足りないのは、たぶん日本の学生や指導者が見ても同じように感じるかなと思います。
指導者は同じようなメニューを出し、選手はその練習の意図を理解しないでただただこなす。
それはまるで練習ではなく「身体運動」でした。
シーズン終わり際にあったパラグアイ大会と23歳以下の南米大会では教え子は彼らにとっていい記録を出しましたが、ぼくが感じるに、それは身体のコンディショニングが整っただけ。
本当はもっと技術的なところや心理的なところまでピークに持っていかないといけません。
より大きな大会ならなおさら。
これから世界選手権、南米選手権、オリンピックと、2年間でイベントが盛りだくさんだから。
決して狙えないわけではないからこそ、もっと陸上について考えないといけないよなって思います。
それは強制することではないですが、ぼくがいるときに少しでも前と今の変化を楽しんでほしい。そう思っています。
ここで「変化」という言葉を使いましたが、現状を打破するには変化を恐れずに前に進む必要があると考えています。
でも現状を打破しないで、どこか心地よいところにとどまっているのが今のパラグアイ陸上競技の大きな問題点。
新しい練習をした時にその動きができなければ途中ですぐあきらめてしまう。
できないとわかった運動はせずに、代わりに自分が得意というか一応形になっているトレーニングをする。
それでは成長するはずもありません。
まぁ、厳密に言えば成長するけど、それは陸上競技の特性が成長するというよりは、身体的に成長した結果としてもたらされる生理学的な成長。
だから選手としての成長ではないんですよね。
【できないことは可能性】
この言葉には「常に挑戦してほしい」という願いを込めています。
あきらめるのではなく、できないことをできる喜びを味わってほしい。
できるようになったことで成績がよくなったらもっと陸上競技が楽しくなるから。
楽しくなったらもっとよくなろうと考えるし、そんな中で気づきを得たらもっと陸上競技の奥深さを感じられるから。
そんな願い。
ぼく自身が「あれやれ」「これやれ」っていうの、好きじゃないんですよ。
嫌じゃないですか、人から強制されるの。
動物じゃあるまいし。
人から言われてやるより自発的にやったほうが楽しいじゃないですか。
誰のための陸上競技かって言われたら、指導者のためじゃない。
選手の競技人生は選手のもの。
選手が作り上げないでどうするの?
そう思うのです。
RPGゲームを人に任せて攻略してください、って言ってるようなもの。RPGゲームは自分で考えてやるからこそ面白い。
陸上競技も同じだと思うんですよ。
日本人もパラグアイ人も。
そんなことで長く書きましたが、
できないことは可能性だよ?
という言葉の中には、ぼくがパラグアイの陸上選手や指導者にもっと
- 挑戦してほしい
- 陸上競技を好きになってほしい
- 楽しんでほしい
- 成長してほしい
そんな願いが込められています。

コメントを残す