2019/3/7の記録
- 田舎派遣だけど強い選手を育てるぞ
- 選手が全然来ない
- 試合の話も食い違う
- 過剰ストレスによって体調を崩す
- 任地変更
- 選手育成ほぼ1本に活動を絞る(できないことはやらない)
- 選手&指導者が順調に成長
- みんなハッピー(今ここ、残り半年)
これがぼくの青年海外協力隊初期から任期残り半年までのプロセスになります。
パラグアイに来た当初はその異文化や慣れないスペイン語を扱うことがおもしろかったのですが、だんだんとパラグアイでの生活が落ち着いてきたところでそれらがストレスに感じるようになっていきました。特に活動面ではそこそこに活動ができていたので悪くはなかったのですが、活動の話が二転三転したり…(いろいろありますがここでは書きません)、いろいろあって心身ともに不健康になりました。そして前任地から現在の任地に変更になりました。
なのでぼくはまだ同じ場所で1年も活動をしていないことになります。あと約3ヶ月で1年、ぼくが帰国する時に1年4ヵ月くらい。活動期間自体はほかのボランティアよりも短いですが、今は充実感を感じることができハッピーです。
ではなぜ今ハッピーでいられるのか、それは「活動をほぼ1本に絞ったから(できないことはやらない)」だと思っています。
活動を絞ること。
これがとても大切だと思うのです。
確かにいろいろやってみることもいいのかもしれません。でもそれがいつの間にか「いろいろやった」という事実だけになってしまう可能性もあるわけです。「なにをどうした」と「ただいろいろやった」だと目的が違いますよね?「いろいろやった」は確かに見栄えばいいです、あんなこともこんなこともやった、つまり数があるので活動しているようには見えます。でも現地の人はボランティアの活動量なんてどうでもいいわけです。彼らは少なからず変化を起こしたくて異国のボランティアを要請しているので、別に量をこなすこと自体が彼らのためになるかと言われればそうでもありません。
このように書いたのは、活動初期段階からいつの間にか活動量だけが増えてしまうということがあるからです。
日本人は、と限定するのも変ですが、現地の人からお願いされたことをなんでも「やります!」と言って断れないといつの間にか「自分はなにをやっているのだろう」ということになりかねません。というのは草の根外交という活動スタイルの青年海外協力隊は、インターネットや自動的なシステムを使って物事を簡略化するのではなく、現地の人と地味で簡単なことを時間をかけてやらなければならないからです。そうなるとやることが多くなれば1つ1つに費やせる時間が減ります。それぞれに費やす時間が減ってうまく回らなくなり、自分が思っているような成果が出せない、焦る、でも現地の人たちの動くスピードが遅い、うまくいかない。そんな循環になったらストレスだって溜まりますよね?でもよく考えたら、これって別に現地の人が悪いわけではなくボランティアの自己管理能力が低いからこそ陥ってしまうことではないでしょうか?
ぼくはこういうところで前任地で失敗したのだと思います。
前任地での教訓を踏まえ、任地変更後は活動を絞り、自分が本当に力になれるところで勝負するスタイルに切り替えました。
力になれるところ、というのはもちろん要請内容にあることですが、それがぼくにとっては選手育成でした。任地変更後もカウンターパートではないほかの指導者から「小さな子どもも見てくれないか?」とお願いされましたが、これはぼくが力になれないことだと判断して断りました。前任地でこの分野でうまくできなかったから、そしてそもそもある程度首都はいい環境があったからです。その時間を選手育成に回しました。
別にその指導者とも関係性が悪いわけでもありません。断わりましたがそのままです。結局、問題なのは「やりますと言ってやったはいいものの、途中でやっぱりやめますと言って現地人の活動を頓挫させること」なのではないかと思います。できないことをやらないというのはこういうところでも必要になってくるのではないでしょうか。
やらない、断るというのは悪いことではありませんし、活動量でほかのボランティアとも比較するべきではありません。活動の取捨選択は自身の最善の方法を見つけるための手段です。「あきらめる」は「明らかにする」ことです。正しく理解することです。やらなければならないことなんてほぼありません。目的があってやらなければならないことが勝手に生まれてくる、そういうイメージです。
いろいろやってうまくいっているのであれば別に問題はないと思います。でも、もし活動がうまくいかない状況にあるなら、
- 活動の目的は何なのか?
- 本当にその目的を達成するための条件(時間、環境など)があるか?
- その条件を作り出すための取捨選択ができているか?
このようなことを確認することが大切だと思います。
ぼくは取捨選択して、ある目標に対して自分ができることをはっきりさせたことで充実した活動ができるようになりました。

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