2019/3/4の記録
【試合後の誕生日祝🎂兼アサード🍖】
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) March 4, 2019
試合が終わったあとに集まって「お疲れさま」ってやるの、いいね。
日本では大学のときから試合終わりに打ち上げするのは嫌いだったけど、競技の話とか笑い話とか、そうやって小さな陸上コミュニティの中でもいいつながりを作ってるのは素敵だと思った。 pic.twitter.com/0wnM5xR7cH
昨日は選手の誕生日だったので、彼の好きなコーヒーをプレゼント。
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) March 2, 2019
前回違う選手の誕生日はケアアイテムだったけど今回は消耗品。たぶん5月末に開催される南米大会までもつはずだから「大会までずっと応援しているよ」という意味を込めて。
今年は絶対に自己ベスト更新、そして世界へ。 pic.twitter.com/XZ5abwy7GW
写真に写っている選手たちにはぼくが指導しているカウンターパートのグループではない選手たちもいます。いろいろなグループの選手が競技場外でこうやって交流をするということはとても大切なことだと思います。
もちろん全てを競技のために考える、今回であればただ誕生日を祝うという状況をパラグアイ陸上競技の発展に結びつけるという考え方も変な感じもしなくはありませんが。ただボランティアとしてはグループや派閥は関係なくみんなで仲良くやることは競技人口が少ないパラグアイにとって必要なことだと常々思っていました。
パラグアイのいいところは「年齢関係なく選手同士で集まって遊んだり食事ができたりすること」です。例えば日本では学校部活動があって他学年の先輩後輩と練習をすることがありますが、中学高校大学という区切りの中で同じ人と長期間に渡って関係を持つことは難しいです。でもパラグアイは学校部活動の代わりにクラブが存在しているので、長期間に渡って選手同士が関係を持つことができます。日本とパラグアイの陸上競技のあり方にはそれぞれにメリットデメリットがありますが、パラグアイ陸上競技のいいところ、「選手の数が少なくて競技的刺激は少ないけど少人数で協力的になれる環境である」、これを使わない手はありません。
ぼくはもともと大学での打ち上げは嫌いでした。学生当時は競技でも普段の生活でも順調ではなく、特に競技面で思ったような結果が出なかった時にワイワイできなかったのです。悔しさや自分の惨めさの方が強くて。弱い人間なのにハメを外して酒を飲む、そんなことはとても考えられませんでした。とにかくただ競技だけを考え、そして打ち込んできましたが、それがかえって自分の首を絞める結果になることは当時は理解できませんでした。
大学時代はそんな硬い考えだったからこそ心も体も壊してしまいました。自分自身で選んだ道だったので自業自得といえばその通りだと思います。でもだからこそ今の指導に生きていると思います。いや、そう思いたいのかもしれません。
競技だけではダメだ。競技はバランスが大切だ。
これをぼくは学ぶことができたのだと思います。過去の苦い経験を今の活動に生かすことができ、その結果として今のところは陸上競技が嫌でリタイアしたという選手はいません。もともと走ったり投げたり跳んだりすることが好きで始めた陸上競技をいつの間にか嫌いになって引退してしまう、というのはとても悲しいことです。その個人にとっても発展途上のパラグアイ陸上競技にとっても。だからいいんです、うれしいんです、ぼくは。試合期が始まったばかりでこれから大切な試合がある中でこうやって試合終わりに誕生日会をしてたくさん食べて、お酒を飲んで、音楽をつけて、騒いで。
日本でぼくができなかったことをパラグアイで経験できています。「陸上競技は人生を豊かにするものである」というモットーを掲げて活動する中で、改めて仲間の大切さを強く感じています。お酒を飲んで、夜遅くまで話して、睡眠時間が足りなくなって。そんな状況はきっと100点ではないんです。でも100点が必ずしも彼らにとって100%ではありません。時には理論で説明できないようなことが大切なことだってあるのです。ぼくは指導者という立場になってパラグアイでこのようなことを学ばせてもらっています。

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