こんにちは!大村(@KotaOhmura)です。
さてさて、青年海外協力隊として発展途上国で2年間活動するということは、世界中どこでも活動できる能力を身につけられるチャンスでもあります。
ところでみなさん、世界で通用する人材ってどんな人材だと思いますか?
グローバル社会が加速する中で、日本と世界との距離はどんどん近づいています。言葉を話せるようになることがグローバル人材でしょうか?異文化理解できることがグローバル人材?コミュニケーションがとれること?
あなたの中のグローバル人材ってどんな定義ですか?
青年海外協力隊を目指す上で確認しておきたいグローバル人材、「国際人」とはどのような人の事を言うのでしょうか?
日本的に言うグローバル人材ではなく、「国際人」として青年海外協力隊の活動を進めることができれば本当の意味で現地人と深い関係をきずけるのではないかと思います。
「国際人」という感覚を身につけてからが本当のボランティアの始まりだと思います。
1.参考にした記事はWSBIを運営するwasabiさんの記事です!

今回参考にさせていただいたのは、WSBIを運営するwasabiさん(@wasabi_nomadik)のブログ記事になります。wasabiさんとは誰ぞや?ということでプロフィール↓
2014年獨協大学卒業後、新卒でフリーランスの英日翻訳家/ライターとして2015年春にベルリンに拠点を移す。行き先をドイツに決めたのは、大学在学中にイギリス・マンチェスター大学へ留学し哲学と社会学を専攻したことからドイツ哲学に出会い、大いに感化されたことがきっかけ。現在はライプツィヒに拠点を移し、翻訳家として国内外のクライアントと複数契約するほか、ライター・ブロガーとして本ブログを軸にしつつ他媒体へも積極的に寄稿。
個人的なテーマとして、海外移住や新卒フリーランスをはじめとした次世代の生き方やリモートワークの可能性を研究。2016年2月にはモチベーショナルスピーカーとして「TEDx Youth @ Kobe」への登壇も果たし、テクノロジーの発達した現代で「働き方」や「生き方」という概念をどう捉え直していくべきか自身のオピニオンを展開。
2017年2月よりオンライン空間を世界的により平等にすべくアラビア語ブログプロジェクト「Digital Nomad for Refugees」を開始。ドイツにいる難民に向けてオンラインでの自活を促す情報を発信している。
ぼくとは桁違いにいろいろなことに挑戦している超素敵な方です!超詳しくて超楽しいプロフィールはこの記事↓。面白すぎなので必見!
ぼくは普段は主に協力隊関係のブログを見ていますが、もうwasabiさんはぼくの憧れる生き方そのものなのでいつも拝見しているんですね。
実を言うと、ぼくが青年海外協力隊に参加するきっかけの1つとなったのはwasabiさんのブログ。ぼくが協力隊に参加するか迷っていた時に出会ったのがwasabiさんのブログだったのです。
別に協力隊関係のブログではありません。ただ、自分のやりたいことを自分の手で切り開いていく、その中で出会いを大切にしたり自分のブランドを確立していく姿が本当に衝撃的だったのです。しかも新卒フリーランス。あぁ、こういう生き方でもやっていけるんだと思ったものです。
協力隊に参加することの決定打になったのはwasabiさんの存在です。運命をねじ曲げられたのです(笑)
さてさて、本題に戻り、今回参考にした記事は
という記事で、国際人とは何かについてwasabiさんの視点で説明されています。
この記事を読んだとき、「これは青年海外協力隊こそ持つべき感覚だ!!!」と思いました。衝撃ですよ。
国際協力以前に世界で生きる感覚、姿勢について書かれています。
青年海外協力隊は日本から発展途上国に対する支援・援助という側面がありますが、そうした活動をする上で絶対に持っておいたほうがいいのが「国際人」という視点。この「国際人」という感覚を持つことが、本当のボランティア活動につながると思います。
ということで絶対に要チェックです!wasabiさんのブログ!
2.国際人という言葉が超絶国際的じゃない、という真実

冒頭で登場するwasabiさんの妹さん。
妹さん:「国際人ってなに?」
wasabiさん:「人の気持ちがわかる人!かな!」
妹さん:「おけ!あざー!す!」

衝撃を受けました。油に水を注いで爆発するかのごとく、ぼくの頭は衝撃を受けたのでした。天地がひっくり返ってまたひっくり返るかのごとく。脳内麻痺。
軽っ(笑)
私が声を大にして言いたいこと、それは「もはや国際人なんてことを意識しないレベルまでどんな国の人とも関われてこそ、国際人」なのだと思っています。
ドイツに住みながらいろんな国へ行っている私は外国の人と関わるときに自分が国際人かどうかなんて意識もしていませんし、そのときに存在するのは人と人としての一対一の関係のみです。
引用:「国際人とはなにか?」と聞いてきた妹にドイツ在住の私が返した回答(WSBI)
この視点ってすごく大切だと思います。
なぜなら、青年海外協力隊の活動って「草の根レベルの活動」だから。
ぼくたちは確かに国の代表として発展途上国に派遣されます。形上は先進国日本から発展途上国への支援・援助になります。だから活動を通して国が豊かになることが目標の一つとして挙げられると思います。
ただぼくはこの記事を読んだときに、国の代表で派遣されようが国を発展させることが目標であろうが、まずは目の前にいる人間との関わり合いが大切なのではないかと思ったのです。
目の前にいる人間のことを「発展途上国の人」と思いながら活動するのはいかがなものかなと思うのです。
まあ、そんな考えで活動をしている人はいないと思うけど、中には「発展途上国の人は貧乏でかわいそう」とか「これをすればもっと豊かになるからやるべき」と思う人はいると思います。
ぼくもテレビでしか見たことがありませんが、アフリカで食料がなくてやせ細ってしまった人を見ると「かわいそう」と思ってしまいます。まだ現実を知らない。未熟。
そういう先進国の日本的な視点を持ってその国を発展途上国扱いして、その国にいる人全てが発展途上国人だと思いながら活動するのは目の前の人間を見てないのかなって思います。発展途上国という全体を見ていかにも知った気になっている。そんな状態でしょうか?
例えば、あなたの隣にいる友達を見る目はどうでしょうか?何の条件もなく友達ですよね?
お金がない貧乏だったら「貧乏の友達」でしょうか?成績が悪かったら「成績の悪い友達」でしょうか?
「貧乏の友達」や「成績の悪い友達」という考え方によってあなたの友達に対する価値観って変化するでしょうか?しないはずです。
だってそれは、どんなバックグラウンドがあろうとその人はその人個人だからです。
バックグラウンドの違いから個人に対する接し方って変わるんでしょうか?人殺しとかっていう特殊なバックグラウンド以外だったら変わらないはず。
発展途上国で活動する青年海外協力隊も同じ事が言えるのではないかと思います。
ぼくたちが相手にするのは「貧乏人」でも「かわいそうな人」でもありません。「その人」なのです!
バックグラウンドなんて関係ない、その人自身なのです。文化的な背景とか経済的な背景とかそういうの関係なしの、発展途上国の人である前にぼくたちと同じ地球人であり、対等な「国際人」です。
一対一で人として話してみるとわかるのですが、その人が必ずしも自国の文化と同じ価値観を持っているとは限らないからです。
国際人は「異文化を理解できること」だと思われているけれど、その理解ってしょせん自分の持っている基準を通してでしか理解できないと思うんです。
だからこそ異なる文化背景を持つ人たちと関わる時に大事なことは、その人の「国の文化」ではなくて、その人自身がどんな「自分文化」を持っているか、そこに着目してそこで語り合えるようになることなのではないか?と思うのです。
引用:「国際人とはなにか?」と聞いてきた妹にドイツ在住の私が返した回答(WSBI)
ぼくたち先進国がもつ発展途上国への視点はあくまでぼくたちのものであって、発展途上国の人たちが自分たちの生活に対してそのような視点を持って生活しているとは限りません。
先進国の人が途上国の人たちのことを「不幸だ」と思っていたとしても、途上国の人たち全員が「不幸」だと思って生活していないはずです。
「発展途上国のイメージ=発展途上国の人全員」ではないはず。「日本人=みんな和食が好き」じゃないのと同じレベルの話です。
日本人だってご飯が好きな人もいればパンが好きな人もいる。パスタが好きな人だっていれば、国民食と言われているカレーライスが嫌いな人だっている。
つまり、先進国がもつ発展途上国のイメージって、発展途上国の個人には当てはまらないんです。
この点に関しては、偶然にもぼくも以前記事にしました。
ボランティア論(先進国的視点)を固めすぎてしまうと、発展途上国の人全員が発展途上国人になりかねない。
もちろんある程度のボランティア論は必要だと思いますが、大切なのはコミュニケーションをとってその人個人と相対することだと思います。発展途上国人ではなく、ぼくたちと同じ地球人として、国際人として、友達のように。
その個人と相対することができて初めてその人を理解して、その地域を理解して、国を理解するという流れにつながるのではないかなと思います。
まぁ、2年間でその国の文化を理解するというのは難しいと思いますが、異文化理解のスタートってあくまでも「その人個人」との関係から始まるものなのではないでしょうか?

出典:「正義の反対は別の正義」ボクのおとうさんは、ボランティアというやつに殺されました。【青年海外協力隊からのメッセージ】(JIBURi.com)
青年海外協力隊の大先輩の宮﨑大輔さん(@JIBURl)の記事にもこの話題に通ずるものがあります。
先進国的視点やボランティアはこうであるべきという固定観念が、ボランティアであるはずなのに時として現地人の生活をぶち壊してしまう可能性すらあるわけです。
それはやはり発展途上国の人もぼくたちと同じように地球に住む「一国際人」であるにも関わらず、対等な関係ではなく上から目線であるから。個人対個人レベルでの理解ができていないから。
友達から上から目線であれこれ言われたらそれだけで嫌じゃないですか?ボランティアだと嫌に留まらず、その人の人生をぶち壊しかねないのです。
青年海外協力隊に求められていることって、確かに発展途上国の援助・発展の寄与という側面があります。
ただ、それ以上に大切なのは、いま目の前にいる「その人」と普通に生きていくことではないでしょうか?友達と何かをする時のように、友達が困っているときに手助けしてあげるように。
青年海外協力隊のボランティアもそんな感じで、意外と簡単に考えてもいいのかなって思います。
深く考えたり難しく考えることが全てではない。
ぼくは、活動で関わるその人個人を大切にしたいです。文化的背景とかそういうこと関係なしに、まずは一個人として人間関係を築きたい。友達のように。
友達のように付き合うからこそ、その人の考えや悩み、困っていること、楽しいことなんかを聞くことができる。そうすることでようやく国際ボランティアのスタートラインに立てるのではないかと思います。
3.「あえて察しない」とは?

妹には「人の気持ちがわかる人」と言いましたが、それは人の気持ちを「察する」という意味ではありません。むしろ「察しない」方が大事だと思います。なぜならそれは相手のことをわかった気になる「誤解」と紙一重だからです。
私が言う「人の気持ちがわかる」とはズバリ、その人個人がものごとに対して「どんな感じ方をするのか」を理解することです。
それを「価値観の共有」、と言いたいところですが、宗教やその人の生きてきた世界観を超えたもっとその先にあるミニマムな「感じ方(Feeling)」を理解する方が大事なんじゃないかなって思っています。
私はそうやって「個人の文化」を認めあえた上でこそ、お互いの「国の文化」について建設的な話ができると思っています。
引用:「国際人とはなにか?」と聞いてきた妹にドイツ在住の私が返した回答(WSBI)
2で書いた項目と丸かぶりするかもしれませんが、やっぱりその国を構成している人一人ひとりは違うわけだし、ぼくたちが活動で関わる人もいろいろな人がいると思います。
幸せを感じている人もいるだろうし、お金がなくて困っている人もいるかもしれない。
いろんな考え方があるからこそ、日本的な規定された発展途上国論では説明しきれない個人のミニマムな感じ方(Feeling)を理解することが、協力隊ボランティアには必要なはずです。
ぼくたちは国対国ではなく、個人対個人で活動します。それが青年海外協力隊だし、だからこその「草の根レベルの活動」ですよね?
wasabiさんの言う「察する」は、「全体がこう⇒だから個人はこうだろう」という関係性で、「察する=推論」でしかないということだと思います。(違ってたらすみません(笑))
まさしく推論はその人個人と関わったものでなければなんの根拠もないわけです。知ったか野郎でしかないわけです。
「男はみんな女が好き。だからAくんも女が好きだろう」なんてね、実際その人に聞いてみないとわからない。最近では同性愛も認められてるし、そもそもAくんは人を好きにならない人かも知れない。そういうことですよ。
「察する=推論」だけではその人を把握しきれないんです。
だからこそ個人対個人でのコミュニケーションによって、その人個人がものごとに対して「どんな感じ方をするのか」を理解することが「人の気持ちがわかる人=国際人」なのだと思います。
だから、青年海外協力隊もwasabiさんの言う「国際人」であるべきなんです。
日本で言う意味不明な「グローバル人材」とかそんなのどうでもいいんです。大切なのは、今目の前にいる人間とよい関係を持てるかということです。それが国際人です。
まとめ

長くなりました(笑)。まとめます。
wasabiさんがいう国際人とは「人の気持ちがわかる人」。これは青年海外協力隊が持つべき視点です。
国際協力で活躍するのは日本的に言う「グローバル人材」ではありません。
「人の気持ちがわかる=国際人」です。
それで、国際人っていうのは具体的に言うと
- 「国際人なんてことを意識しないレベルまでどんな国の人とも関われてこそ、国際人」⇒個人対個人が友達レベルのような関係
- 発展途上国の人もぼくたちと同じ「地球人」、発展途上国人である前に一個人、その人であることを理解している
- 「察しない」⇒理解したつもりではなく、目の前にいるその人のミニマムなFeelingまで理解しようとする関係性をもてる
こういう人が、国際人っていうのではないかなと思います。
発展途上国の人だから特別ではなく、発展途上国の人もぼくたちと同じ人間です。いろいろバックグラウンドは違うかもしれませんが対等なんですよ。
そういう対等な関係だからこそ、お互いの本当のところを理解することができると思う。そしてこういう理解があってこそ、本当のボランティアができるのではないでしょうか?
青年海外協力隊に参加する人は「国際人」という感覚は本当に大切です。
ボランティア論も大切かもしれませんが、「国際人」の感覚を身に付け、お互いに対等なコミュニケーションを取れるようになることの方がぼくは大切だと思います。
