東日本大震災から考える、個人ができる協力の在り方

2019/3/11の記録

 

 

2011年3月11日。

日本では東日本大震災がありました。

当時ぼくは高校3年生。ちょうど受験で関東にいたのですが、そのときに被災しました。実家から離れているので被災してからの数日は避難所(小学校)で生活していました。被災した直後から多くの人が家族などの安否確認のために携帯電話で連絡を取ろうとしていたのが今でも印象に残っています。でも回線が混み合ってほとんど連絡がつかず、そしてインフラの機能が停止し思うように移動もできず、また最新のニュースも届かない。のちに届く号外?新聞で東北地方の悲惨な状況を知り、でも知ることしかできず、ただとにかく生きなければいけなかったあの頃。ぼくはその当時被災した人たちに対して何もすることができませんでした。

 

 

のちに知ったのですが、ぼくが青年海外協力隊として活動するパラグアイから日本に支援があったのです。これを知っている人はどれほどいるでしょうか?

日本の反対側に位置するパラグアイ。失礼ですが、当時はパラグアイのパの字も知りませんでした。日本の反対側と言ったらブラジル、その程度でした。

ぼくは国際協力という目的で発展途上国(パラグアイは最近中進国になった)で活動しています。先進国から発展途上国への援助のひとつの形ですよね。そんな国から日本に援助があったという事実を知ったとき、ぼくは驚きました。

 

 

結局のところ、国際協力ってこういうことなのかなと思いました。

たとえ経済的に余裕がなくても、発展途上国だとしても、他国に対してできることをする。

協力することに国のレベルは関係ないのです。

ぼくはパラグアイに対して何ができるのか。何もできないわけないのです。できることをする、それが協力することなのだと思います。

きっとそれは国際協力の世界に限らず、困っている人がいたら手を差し伸べる。自分の半径5mにいる人を助ける。声をかける。これくらい小さな協力をすることは日常生活レベルでできることです。それがぼくにとっては陸上競技の活動を精一杯すること。なぜなら、それがぼくができることだからです。

そして協力することに大小もないのだと思います。

自分はこんな大きな援助なんてできないと思うのではなく、小さくてもできることをする。そんな人がたくさんいたら、きっと小さなコミュニティレベルで助け合う関係ができて、それが大きなコミュニティで作用するようになるのだと思います。できないと思ってやらないのではなく、手を差し伸べるだけでいい。ぼくたち個人にできることは限られているから。だからこそ、組織にはできない小さな協力というのがぼくたち個人にはできるし、やるべきなのだと思います。

 

 

パラグアイからしてもらった援助を直接的に体感したことは正直ありません。でも体感できないレベルでぼくたちは助け合っているのだと思います。でも、体感できないレベルだからこそきっとぼくたちはその援助されたという事実にも目を向けられないし、知っているとしてもいつかは忘れてしまうのだと思います。

だからこそ、今ぼくがパラグアイで活動できているのは見えない協力のおかげなのだということを忘れないようにしたいです。そしてぼくができることで協力したいです。

 

2017年9月から南米パラグアイで青年海外協力隊の陸上競技隊員として活動中。大学ではスポーツを専攻。日本でコーチング後、パラグアイでナショナルレベルまでの選手の育成強化・競技の普及活動、及び小学校体育教育を行っている。
趣味はカメラとトレーニング。ブログとSNSの更新頻度は多め。

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2017年9月から南米パラグアイで青年海外協力隊の陸上競技隊員として活動中。大学ではスポーツを専攻。日本でコーチング後、パラグアイでナショナルレベルまでの選手の育成強化・競技の普及活動、及び小学校体育教育を行っている。 趣味はカメラとトレーニング。ブログとSNSの更新頻度は多め。