2019/3/16の記録
「こーたからはたくさんのこと学んでるし理解もできてる」と言ってくれているし実際記録もよく伸びてるから、それを地元の子どもに教えてくれたらいい。彼女の地元はカウンターパートが重要強化地点と考えているチャコ地方。ぼくも出張で何度か行った場所。ぼくがいる間にたくさん吸収してほしい。
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) March 16, 2019
ぼくが指導している女子100m記録保持者は将来先生になりたいそうです。学生の時から将来の夢が決まっていてそれに向けて学校で勉強しているのはすばらしいこと。ぼくが学生のときは将来のことなんて考えずにただ陸上競技をやって、大学を卒業するときは白紙でしたからね。そのおかげで青年海外協力隊という道を選択できたので悪い人生ではなかったと思っていますが、ひとつの人生の最大目標に向かって努力する経験はぼくにはなかったかなと思い返します。
ぼくは彼女に陸上競技を教えていますが、それと同時に生きていく力を成長させるように指導をしています。先生になるならより良くするにはどうしたらいいか考える必要があるからです。また、人と接する必要があるからです。
日本で言うスポーツは教育を含むという考え方。パラグアイでは学校体育がそもそもなく(厳密に言えばあるけど体育の時間は身体を動かすだけの時間、遊ぶ時間)、身体を動かすことが教育的な意義を持つことを知りませんし、指導者も「スポーツ=競技」という視点が強いように感じます。また、ぼく自身も彼女の大学の授業をしばしば見るのですが、教育的要素を一切含まずただ身体を動かすことを目的としているように見えるので、彼女が先生になった時に彼女がやりたいことをこのままでは大学を通して身につけることができないと感じていました。こういう考え方はぼくのエゴかもしれませんが、ぼくが彼女を指導している責任もあるので競技面、そして将来の夢や生き方に役立つような指導を心がけています。
先生になっても自分が成長したと実感する経験がなければ「成長とは何か」がそもそもわからないので学校の先生になってもただやるだけになる可能性もあります。これはパラグアイの文化から言えることですが、量をこなせば偉い、すごいという風潮があるので「こなした数=成長」と混同しかねないという意味になります。だからこそ、ぼくはただ指導するだけでなく、
- 何を成し遂げたいのか(最終目標)
- 最終目標を達成するためには何をしたらいいか(小目標設定)
- やることにどのような意味や効果があるのか
- うまくいったかどうか(フィードバック)
このようなことを彼女自身ができるようになることを目的にしています。これが彼女が成長を実感できる手段だと思っていますし、将来的に彼女の夢にもつながると思っている。結局、学校で理論を学ぶとしてもそれを自分自身が実際に体験しているかしていないかというのは大きな違いです。知らないことは教えられませんからね。
また、彼女自身は現在選手なので教える立場ではありません。だからこそ、自分自身で試行錯誤することが大切なのです。試行錯誤することで、選手選手自身が自分の指導者になることができるからです。ぼく(指導者)が指導するのを受け入れる客観的な考え方と彼女自身が考える主観的考え方があれば、より多くのことを考えて学ぶことができると思っています。
彼女は先生になって陸上競技も教えたいと言っていますが、結局のところ将来のことなのでわかりません。もし彼女が本当に先生になって陸上競技も指導するようになると、彼女の地元での陸上競技文化の発展に大きなプラスになります。
現在、パラグアイは陸上競技の指導者不足が問題となっています。彼女が先生&指導者になったらパラグアイの陸上競技が盛んな地域が増える期待も持つことができます。たくさんの地域で競争力が増せばもっとパラグアイは強くなっていきます。
ぼくが選手たちの将来を決めようとすることは不適切だしそもそもできませんが、ぼくの指導を受けていてかつ指導に興味がある選手は指導の道に行ってくれたらなぁと淡い期待をもってこれからも活動を進めていきます。

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