試合に出場しない、とまた言われた。
これが3度目。試合に出場しないと聞いた瞬間、頭の血がサーっと引くのがわかった。
あぁ、自分が何をやっても無駄なんだなって。
やれと言うだけであとは放置。— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) 2018年4月5日
あれこれ説明すれば「エクサクタメンテ(その通り)」って口癖のように言うけど、本当にパパは人の話聞いてるのだろうか?
思い返せば話を聞いていないし、自分よがり。
自分だけで情報を把握して共有ゼロ。
変更だ!変更だ!の嵐。自分の中で完結してしまっているから、多分ボランティアいらない。
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) 2018年4月5日
ボランティアが2年間もいる意味、本当にあるのかなって今考えてる。
話を聞いたボランティアの多くが「変わらない」と言っていた。
いや、そもそも「状況をよくしたい」「発展させたい」とか思っているのはボランティアと日本だけかもしれない。変化なんて必要ないのかもしれない。
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) 2018年4月5日
3月10日、不参加。
3月17日、不参加。
そして、4月7日、不参加。
3回連続の試合不参加通告をカウンターパートから受けた。
がっかりした。
その話を試合2日前に聞いて、頭の血がサーっと引くのが分かった。
動悸がした。
気持ち悪くなった。
なんの気力もなくなった。
要は、ぼくは、心の中でひとり、ブチギレた。
すごく、
バクバクした。
立てても立てても踏みにじられる計画。
練習に関して任せてくれたのではなかったのか?
陸上選手のゴールは人それぞれかもしれないけど、多くの人が記録向上を目指して頑張っているというのに。
その中で今回の試合が人生初めてという選手もいた。
その選手に一生懸命練習に来るように声をかけて、選手もそのぼくの声に応えてくれて切磋琢磨して頑張ってきた。
選手も初めての試合でわからないことだらけの中で、「練習しなければ記録は伸びない」という事実を理解して練習に参加してくれた。
質の高い練習ほど、走っているときは苦しい。
その日のコンディションによって記録にも走りの感覚にもばらつきがあるから、自信のない選手にとっては成長しているかという実感も持ちにくい。
だからこそ、記録が正確に分かる試合は、選手にとってとても重要なのに。
嬉しい感情も、悔しい感情も、そういうリアルな感情を爆発的に持つことができるのに。
その準備を最高のものにしてきたのに。
簡単に「試合は無し」と言われ、いつもどおり笑い、いつもどおりの日常に戻っていった。
あぁ、何のために練習してきたのだろう?
いや、ぼくは何のために何かをやっているのだろう?
ぼくがここにいる意味、あるのかな?
そう思った。
試合に出られないのはしょうがないんだ。
任地は田舎でお金がない家庭が多いから、遠征費を捻出できない。
(ぼくから言わせてもらえば、金がないという割に、衣食住に必要以上に浪費している)
だから遠征できない。
もっともな理由だ。
市が保有するバスがないから遠征できない。
もっともな理由だ。
でもだよ?
それは全て事前に分かっていることじゃないのかなって。
外的な要因じゃなくて、内的な要因、つまり自分たちの熱意や計画性の問題なんじゃない、って。
ダメな人って「挑戦しない理由」を探すのがうまいんですよね。
挑戦に失敗した人の話を聴いて「やっぱりそんなに甘くないよね」と納得し、親や友だちに相談して「やっぱりやめたほうがいいよね」と納得する。
現状を維持を続けて、何も残せず消えていく……。南無三。— ikehaya | Blockchain (@IHayato) 2018年4月5日
現地の人はダメな人ではないけど、イケハヤさん(@IHayato)がおっしゃっているとおりだと思う。
本質を突いている。
結局は心のどこかで「できないことを前提にしている」からこそ、できないことの言い訳を探して、できない仲間探しをして、「自分たちはできない、だって〇〇だから」という正当な理由をつけたがる。
それって本心では「別に陸上競技なんて二の次」という気持ちがあるから。
そして「あれしたい、これしたい」という偽りの上昇志向を持つ割に、結局は現状維持を望んでいる。
要は、どうでもいいのだと思う。
そう考えたとき、すごく残念で、悔しくて、がっかりした。
ぼくが期待しすぎなのかな?
もっともっと、ぼくが考えている何かのレベルを落とさなければならないのかな?
けど、そうした時、
ぼくは、この国の陸上競技の発展に貢献できる自信がない。
全くない。
時間が過ぎてただ終わるだけな気がしている。
青年海外協力隊制度は「国際協力」の側面を持つ一方で「国際交流」の一面も持っている。
日本と他国が仲良くなる、結びつきを得ることが大切だから。
でも、
ぼくは国際交流だけで終わらせたくない。
今日、選手が可愛そうだと思ってしまった。
活動しながら選手を可愛そうだなんて思いたくない。
試合にいけないことが事前に知らされてみんなが理解していれば、わざわざ試合に向けて準備せずとも次の試合に向けての練習をすることができる。
時間はいつだって意味を持つのに、任地で活動していると時間が意味を持たない感覚に陥ってしまって苦しい。
ぼくはいつでも陸上競技を頑張る選手には味方でありたいと思う。

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