赴任して4日目。
サンタロサの大きな小学校を訪問して体育の授業の補助と運動を一緒にやってきました、大村康太(@KotaOhmura)です。
授業の間には休み時間があったのですが、子供たちからアイスをプレゼントしてもらったんです。
日本で学んできた「貧困層」からもらったアイス。先進国からすると「貧困層なのに」アイスをくれたんですね。
日本で勉強してきた「貧困」から考えると、決して裕福じゃないから毎日の生活で精一杯のはず。ぼくもそう思っていました。
お金がないから犯罪も多い。だから中南米圏は特に気をつけろ、みたいなことを訓練所で結構言われてきました。
もちろん用心するに越したことはないし用心しなければいけないのでしょうけど、子供たちからアイスをもらったという出来事でなんか自分の心の狭さを感じてしまったんです。
確かに、ぼくが活動しているパラグアイのサンタロサよりももっと貧しい地域もあります。
だけど、ちょっと考えたいんです。
発展途上国で生きるサンタロサの人々は本当に貧しいんでしょうか?
1.謎の外国人に対して温かいもてなしをするサンタロサの子供たち
サンタロサの小学校で体育の授業をしてきました。
休み時間、1年生か2年生くらいの子供だと思いますが、ぼくにアイスをおごってくれたんです。最初アイスだけ渡されたから怪しいなって思ってしまって「今はいらない」と言って受け取らなかったのですが、話を聞くとぼくのためのプレゼントでした。— 大村康太@パラグアイ協力隊 (@KotaOhmura) November 3, 2017
500グアラニー。日本円にしてだいたい10円くらい。 お金を払わなければいけないのかなぁと思ってしまったことがすごく恥ずかしいです。子供たちは自分のお金でぼくにプレゼントで買ってくれたのに。結局3本買ってくれたんです。その気持ちが嬉しくて。本当に心が温かい子供たちだと思いました。
— 大村康太@パラグアイ協力隊 (@KotaOhmura) November 3, 2017
初めて会った謎の日本人を心暖かく迎えてくれた小学生。 ぼくはまだ言葉をちゃんと理解できませんが、それでもぼくと友達のように接してくれました。休み時間にアイス屋さんに行ったり、手を洗う場所やトイレの使い方まで教えてくれたり。一緒に走ったりサッカーしたりして笑って、盛り上がって。
— 大村康太@パラグアイ協力隊 (@KotaOhmura) November 3, 2017
そう、ぼくたちは謎の外国人。
確かに派遣国からの要請があって派遣されたのかもしれませんが、要請で来たということを理解している人は限られた人だけ。
だから小学生だと尚更、ぼくは得体の知れない外国人なわけです。
いきなりやってきた外国人。
何するかわからない外国人。
小学生の子供たちはぼくが外国人だから何するかわからないじゃないですか。わからない怖さってありますよね?
怖さ。ぼくもあります。
肌が黒くて背が高くてムキムキな外国人がいたら正直言って怖いです。できれば近づきたくないなぁ、って思ってしまいます。
偏見はよくないとは思ってしまいますが、どうしても無意識に「なんかなぁ。。。」と思ってしまうことって誰もがあるのではないでしょうか?
だからぼくはちょっと人見知りだし、人と付き合うときは結構慎重になってしまいます。
だけど、サンタロサの子供たちは違いました。
いきなり現れたスペイン語も通じない意味不明な外国人を温かくもてなしてくれたんです。
人見知りもなくガンガン話しかけてきます。
言葉が通じないのが分かると手を引いて誘導してくれます。
自分も暑いからこの外国人も暑いだろうと考えてくれて、勝手にアイスまで買ってきてくれます。
何をやっているのか見学していると「サッカーしよう!」と誘ってくれます。
休み時間にはぼくのところにやってきてたくさん話をします。
あなたはサンタロサの子供たちのように人と接することができますか?
貧困って言うけど、貧困って何なんだろうな、ってちょっと考えてしまいました。 彼らは確かに日本人よりもお金はありません。田舎だと尚更。 それでもお金を使って人をもてなします。お金をコミュニケーションツールとして使います。だからいつも周りに人がいていつも笑っている。
— 大村康太@パラグアイ協力隊 (@KotaOhmura) November 3, 2017
お金のあるないを基準としたら貧困かもしれませんが、ぼくはこんなもてなしを日本でされたことがありません。 心が豊かなんです。お金がなくても毎日生活出来るだけのお金はあるんです。ぼくと接した子供たちは。 ぼくらが学んだ「貧困」っていったい何なんだろう?
— 大村康太@パラグアイ協力隊 (@KotaOhmura) November 3, 2017
先進国側から見たらお金はないし、服も綺麗じゃないし、靴もよくない。裸足の子だっている。
カメラで写真を撮っているとやっぱり羨ましがれる。持っていないから。
先進国から見たら確かにあらゆるもののレベルって劣っているのかもしれません。
だけど、貧しさって本当にモノとかお金で測れるものなのかなって思ってしまいました。
あんなに心優しい子供たちを「貧しい子供たち」と簡単に括ってしまうことはぼくにはできません。
逆にアイスをプレゼントしてもらった時に「今必要ないのにお金払わないといけないのかな」と思ってしまった自分の心がちょっと恥ずかしいです。
彼らはぼくらが持っていない「大切なもの」を持っている。そんな気がしました。
2.貧困と言われる子供たちに貧しさなんて感じない
あなたがもしお金が少ない状況にあったら、言葉も通じない見知らぬ人に自分のお金を使ってまでプレゼントしますか?
ぼくならプレゼントしないと思います。
なぜなら相手よりまず自分のことを考えてしまうからです。
これは別に悪いことでもないし冷たい人でもないと思います。日本で生活してたら当たり前の感覚なのではないかなと思います。
お金が無くなったらやっぱり自分の生活が苦しくなるので嫌ですよ。ぼくは。
だけどここの子供たちはプレゼントするんです。
モノもお金ありません。
だけど温かい心があります。
本当に貧しいのでしょうか?

何もない。だけど何もなくない。
ぼくたち日本人の方がもしかしたらお金に執着しているのかもしれません。
お金に執着する「貧乏」なのかもしれません。
いくらあっても足りない。だから貧乏。
そう言うこともできるのではないでしょうか?
モノだって同じ。
ぼくたちはお金への執着が強いからたくさんのお金を稼ぐことはできます。
そしてその稼いだお金でより良いものを買おうとします。
国を問わず誰しも持っている願望なのかもしれませんが、本当に必要なモノを買っている人はどれほどいるでしょうか?
ぼくはよく考えて買ったつもりでも実はそんなに使わないものってたくさん持っています。
お金にもモノにも執着心が強い「貧乏」。
いくらあっても満足することができない。だから心が満たされない。
満たそうと思えばまた執着が強くなる。だからいつまでたっても何か足りない気がする。
そんな感じでしょうか?
少なくともぼくは今までそんな感じで生きてきたように思います。
対してサンタロサの子供たちはモノもお金もないけど毎日笑って楽しそう。
お金がないから不必要なモノは買わないし、家にあるモノも少ない。
モノも少ないから工夫して必要なものを創りだす。
お金は人をもてなすために使います。
お金を人とコミュニケーションをとるツールにしているんです。
もちろんぼくらもお金を使って経験を買うことはできるし、人脈を作ることだってできる。
ただ、それ以上にサンタロサの人たちはお金を人のために使って毎日笑って暮らしています。
だからここで暮らし始めてからすごく満足することができてます。ここの暮らしに。
お金も全然使いません。モノも買っていません。
毎日人といるだけなのに、ヘラヘラ笑っているだけなのに幸せなんです。
すごく満たされています。
貧困。
貧困っていったい何なんでしょうか?
毎日笑って楽しそうに暮らしている。
ぼくはそんなここでの生活を貧しいと感じることができません。

コメントを残す