勉強と研究は違う。
勉強とは、既に分かっていることを学ぶこと。
研究とは、まだ分かっていないことを調べ、明らかにすること。
勉強ができるからって、研究が上手くいくとは限らない。
勉強ができなくても、研究が上手くいけば教科書に1ページ足すこともできる。
勉強と研究はそれぐらい違う。
— Yusuke Shiozawa (@yusuke_shiozawa) 2018年11月19日
このツイートが的確に違いを表しています。
勉強とは、既に分かっていることを学ぶこと。
研究とは、まだ分かっていないことを調べ、明らかにすること。
パラグアイの指導者は陸上競技の指導者資格を保有している人が多いように感じます。
パラグアイでは資格があればあるほどいいみたいな考え方があります。資格の多さがその人の能力を表す、みたいな感じ。
でも、実際資格をもっていてもうまく教えられないから、選手が成長しません。これがパラグアイ陸上競技の現状です。
指導者は「オレは資格持ってんだぜ!」という感じで研修後にもらえる認定書をもって誇らしげに写真を撮りますが、それと指導力は全くの別物です。
指導は生きた人間を対象として行います。でも、資格認定の勉強は一般の平均値です。
生きてきたバックグラウンドも違えば、性格も骨格も病歴も、人によって全て違うからこそ、指導者は選手に生きた指導をしなければいけません。
それができないのがパラグアイの指導者。
自分が学んだことは絶対。これをやれば選手が育つ。
そう、魔法のように考えている指導者がなんと多いことか。
選手は生き物だからこそ、ある運動刺激が加われば常に変化していきます。
その変化に対応した指導をするのが指導者の本当の役割です。
もっている知識を振りかざすのは傲慢でしかありません。
変化に対応するためには、個人をよく見て、その選手に対して必要なことを常に考えること。
そして、自分が勉強したことの中に選手をよくする方法がなかったら自分で考えること。
変化に対して、「これをやったらうまくいくんじゃないか」と考えて試行錯誤すること。
それが必要ですね。パラグアイの指導者には。
常に変化していく選手に対応するためには、指導者自身も常に変化に対応する必要があります。
そして、指導者自身も柔軟に変化する必要があります。
追究して、追究して、追究して。
その先に自分自身の思考の変化と、それにともなう新しい発見があるはずです。
この過程が研究。
パラグアイの指導者にも「研究」してほしいです。

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