協力隊は現地での生活や生計が「成り立っている」状態で活動することを前提としなければならない。そういう状況の中でボランティアが現地に溶け込んで「何ができるか」を探す。
JICA調整員さんがお話してくれたこと。0→1ではなく1→10のように、今ある状況に関わることが大切なのだと思いました。
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) 2018年6月1日
先日、活動について悩んでいることをJICAの調整員さんに相談した時の話。
活動を続けてきてぼくが強く感じたことは、「ボランティアがいなくても全然生活も活動も成り立っている」ということでした。
もちろんその質がどうこうという問題もあるけど、現地の人たちはそれなりにやっている。それが現実でした。
ぼくの職種の陸上競技でもたぶん強くはならないけどクラブとしての運営は成り立っているし、別に全員が強くなる必要もなくて、楽しい陸上競技でゆるくやるのもアリだと思っています。
だから、ボランティアが必要ないんじゃないかって。
そう思ったのです。
この違和感というかもやもやを抱えながら活動することがどうも心苦しかったので、調整員さんに相談しました。
そこで調整員さんからお話していただいたことが本当に大切だと思いました。
青年海外協力隊は現地での生活や生計が「成り立っている」状態で活動することを前提としなければならない。
そういう状況の中でボランティアが現地に溶け込んで「何ができるのか」を探す。
あぁ、なるほどなと。
ぼくの今までの考え方は、「成り立っているのであれば別にボランティアっていらなくない?」というもの。
つまり、そこに「1」がすでに存在していたら別にいじくる必要がない、「0」がないのだからボランティアなんていらないだろう、というものです。
任地の陸上競技クラブの活動はもちろん完璧なものではありません。だらだらやるし、日本の部活動をやったことがある人から見たらひどいものに見えてしまいます。
でも、その地域の特色といいますか、例えば子どもたちは働きながらその間の時間に楽しみで陸上競技をやっているとしたら、楽しい陸上競技でいいわけです。だからゆるくても陸上競技を楽しんでいたらそれでいい。そんな形もある。
「競技志向が足りない」と考えながらクラブを見たら「0」だけど、楽しみながらやる陸上競技ならすでにもう「1」としてある。
なら別にいらないんじゃない?って考えていたのです。
つまり、ないものを探して、言い換えれば困っていることを探して活動する、それが活動だと思っていたのです。
直接的にそう思っていたわけではありませんが、やっていることはそうでした。
0⇒1を生み出すこと、それが成果だとどこかで思っていたのかもしれません。
でも調整員さんの話を聞いてハッとしました。
「現地での生活や生計が成り立っていることを前提としなければならない」
この視点がぼくには欠けていました。
何が言いたいかというと、現地での生活が成り立っている前提で活動するなら、そこに絶対的に成果を求める必要はないということです。
そこにないもの、「0」を探すことは大切ではないということです。
成り立っている生活の中にボランティアが溶け込んでいく中で、そこの生活を知っていく。
その中で見つけるもの、気づくことって「ここをこうしたらもっといいのになぁ」という、すでにそこにある「1」。
大切なことって、そのすでにある「1」を現地の人と協力して「2」にでも「10」にでも伸ばしていくことなのかな、と思うのです。
確かに先進国と呼ばれる日本のボランティアから見た途上国は、ないものだらけに見えるかもしれません。
でも、それは現地の人に見えていない可能性もあるし、そもそも必要としていることではない可能性だってある。
立場が違えば必要なことも不必要なことも違うし見え方だって違う。
だからこそ、「ここが足りない」とか「これがダメだ」という前提ではなく、「成り立っている前提」というのがボランティア活動をする上で必要なのだと思います。
それこそないものねだりにボランティアが手を差し出したら永遠に欲はなくならないし。
だから「0⇒1」ではなく「1⇒10」の考え方が大切なんじゃないかなと。
だから別に成果を残そうなんて思わなくたっていい。
現地に溶け込み、自分ができることを考えて、ないものを作るのではなくあるものを成長させていく。
何も困っていない現地人の生活の中でできることはこういうことなのだと思いました。

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