自分の身近にいる選手に変化を起こせなくて、パラグアイ全体の競技力をアップできるはずがない。
別にノートに書かなくても競技力は成長に伴って伸びていくけど、成長が止まったときに「選手の才能はここまでだな」となってしまうのが今の指導法。
変化は何かを継続しないと起きない。
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) 2018年12月25日
カウンターパートが「次の練習からノートを持ってきなさい。それにメニューを書いていくよ」と選手に言ってから、ずっとそれがなされないままここまで来ました。
練習ノートを書かないことが悪いわけではなくて、何がよくないかって、
言ったことをやらない
ということが問題。
これはもうぼく自身も文化的なものとして捉えているからしょうがないのかなと思うけど、本当に競技力向上を考えたときには絶対にやったほうがいい。
特に、パラグアイ陸上競技は行き当たりばったりで計画性がありません。ちょっときつい言い方ですけど。
そういうやり方で南米で入賞を目指すとかオリンピックに選手を送りたいとか、それって理想と現実が離れすぎています。
やれることもやっていないのに選手の成長が止まったら「才能がない」と片付けてしまうのがパラグアイの陸上競技。
「才能」の一言で済ませてしまったら、指導者の仕事は一体何なのかと思ってしまいます。
もう、別になんでもいいんですよ。
言ったことはやる。
ただそれだけのことがなかなか壁が高くてできない。
これは仕方がないと思いつつも、活動をする中で結構悲しく感じてしまいます。

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