コーチとして選手に結果を出してほしいと思うのは当然だと思いますが、そのコーチの欲が形になってしまうのはよくなかったなと。
傍から見たら面倒見のいいコーチなのかもしれないけど、逆に見れば選手のことを信頼しきれていなかったともいうことができます。
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) 2018年6月11日
そして指示を出しすぎてしまうと、今度は指示なしには動かなくなってしまう危険があります。より高いレベルを目指すのであれば一人で考えられるようになる必要があるし、一人で考えたことを指導者と共有して最適解を見つけていく、というのが本来の選手とコーチの関係かなと思います。
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) 2018年6月11日
青年海外協力隊として選手を見れる大会の数は限られていて、まして、大きな大会であればますます少なくなります。
だから、期間限定のボランティアとしては一つ一つの試合でいい結果を出してほしいと思っています。
ただでさえ試合数が少ないパラグアイ。国際大会に出場するためには数少ないチャンスをものにしなければなりません。
そして今回、4年に1度の南米大会。南米のオリンピック、オデスール大会。
ぼくが指導しているやり投げの教え子が出場することになりました。
ぼくが指導を始める前までは自己ベストから程遠い記録。
調子も上がらず、なんだか見ていてかわいそうだなって。もっとできるはずなのにって。
だから、投てき種目をやったことがないけど、ぼくが彼を指導することにしました。
指導し始めてから順調に記録は戻っていき、南米大会前は自己ベストを超える投てきも練習中にできるまでに成長しました。
だからこそ期待してしまう。
発展途上国では記録を出して、そして結果を出すことで、より多くの子どもたちや選手の希望になれます。スターになれるんです。
スポーツの普及活動をぼく自身がするのも一つの方法ではあるけど、選手自身がスター選手になれば、競技の普及効果はとても大きくなります。
そして選手自身も強くなりたい、勝ちたいというモチベーションがある。
だからぼくも一生懸命になります。
だからといって、指導者が選手に手とり足とりを大会の直前まで指示するのはよくなかったと思っています。
パラグアイの大会では指導者は選手のことを競技場の近くから見守ることもできるし、試合中にアドバイスをすることもできます。
でも、国際大会などの大きな大会ではそうはいきません。どうしてもひとりで戦わなければなりません。
そういう状況で自分で考えて戦うためには、ある程度選手に任せる必要があるけど、ぼくはそれができなかった。
選手を信じきれていなかったから。
調子もいい。記録も狙える。でも何かミスをしてしまうんじゃないか。そう心の中で思っていたということです。
試合直前に指示を出せば出すほど選手はやることが多くなって混乱してしまうし、臨機応変に対応できなくなる。
試合でひとりで完璧な準備、協議をするためには直前の指示ではなくて、本来は練習中にすべての準備を終わらせておくべきなんです。
それを今回、ぼくはできなかった。
大きい大会だからこそ期待が大きくなってしまい、失敗してほしくもなかったので、余計に口出ししてしまいました。
ぼくが今見ている選手を本当に世界大会やオリンピックを目指させるなら、ぼく自身ももっと勉強しなければならないし、経験する必要があると感じています。

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