パラグアイの人たちはなんだかんだでいいもの食べてる。全然食に困ってない。野菜は不足してるけど、それを補う圧倒的な肉とその他の食べ物を食べてる。
技術と日本の部活の3分の2くらいの練習量、やる気、継続力があれば、普通に陸上文化育つと思うんだよね。
それくらいタレントはある。— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) 2018年4月6日
学校体育を教えて思うのは、日本の子どもたちは優秀だということ。部活動も優秀だということ。
日本の部活動は「健全な青少年の育成」という目的があるけど、それ以前の学校生活において素晴らしい教育、しつけが行われているからこそ、低年齢であってもしっかりした子が多く、成績優秀なのだと思う。
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) 2018年4月6日
学校巡回の中で、高校生に対して体育の時間に陸上競技指導を行った。
カウンターパートは投擲、ぼくは短距離担当。
正直、ぼくは週に一回学校に来て子供たちに教えるよりだったら、今陸上競技を一生懸命やっている選手たちに時間を使いたいと思っている。
なぜなら、高校生たちは体育という与えられた時間だけでやっているのに対して、やる気のある選手は自発的に練習に参加するからだ。
ぼくは選手の”今”を大切にしたい。
そして、カウンターパートが全く相談なしに勝手に決めたことも気に食わない。
そんなことで、ぼくは全然この活動にポジティブな気持ちを持てないでいた。

ぼく。
でも。
今回指導した高校生たちはしつけがちゃんとなされている。
- 話をちゃんと聞く
- 言われたことを一回で理解できる
これだけでも立派。(日本と比べたらアレですが・・)
だから一緒に体操をしても、走る基礎を教えても、ちゃんと話を聞いてくれる。そしてやってくれる。
カウンターパートが「体育」をしたいのか、それとも「陸上競技」をしたいのか、その目的が定かではない、というか曖昧なので、とりあえずやれと言われたことをぼくがやっている。
ちょっと違和感はあるけど、ぼくが自分で指導すると「体育」になって面白いと感じた。

ウォーミングアップ。

運動の上達の観点から言うと、正直正しいとは思えない。でも、カウンターパートの指導は一応体育の授業の形にはなっている。

もも上げなどの基礎は、教え子の選手が指導。子供たちにしっかり教えられていたから、ぼくの指導も選手のためになっている。
「体育」って遊びじゃない。
運動を通して何かを学ぶ、それが体育。
だから、運動して「はい終わり」だったら体育じゃなくて遊びでしかない。
夏休み前に行っていた小学校は、体育ではなくて遊びだった。
ものすごく嫌だった(笑)
でも、今は「体育」を任されている、そして子供たちが真剣に聞いてくれる、学びを得ている。
そんな状況が心地よい。
- 学んで、できるようになって、成長していく。
- 技術的な成長だけじゃなくて、人としての成長もある。
それが体育の本来のあるべき姿なのかなと勝手に思ってる。

彼らにとっては日本の高校の陸上選手なら誰でもできるような動きが難しい。でも、「できるようになる」その過程を勉強できている。
体育だから全員が速く走れなくたっていい。
でも、今まで触れたことがない新しい価値観を試してもらって、そこから学びを得てほしい。
「走る」ことは誰にでもできるから、陸上競技選手以外だったら、なかなか速く走るためには?ということを考えない。
その自分たちが今まで体験したことがない「速く走るためには?」を、今、実際に体験している。
- ある技術を試した時に自分の体の動きがどう変わったか?
- 速くなったか、遅くなったか?
- そもそもガチンコで競走するのって面白くないか?
人って、日常生活でそうなかなか身体面で本気を出すことがない。
でも陸上競技ではそれができる。
体育を通して、自分が全力になる、自分の体を使って競争する感覚を体験することができる。
彼らはサッカーが好きなだけで陸上競技が嫌いなわけじゃない。
だからこそ、陸上競技を体育で教えたいならしっかりとした教育体制を整えたほうがいいと思っている。
正直、今ぼくが教えて面白いなと思っていても、ぼくの活動を見ている人はカウンターパートを含めて誰もいない。
ぼくが「もう学校で教えない」と言ったら終わりだ。また元通り。
ぼくがいなくなったあとも陸上競技を学校体育で続けたいなら、絶対に他のパラグアイ人も巻き込む必要がある。
正直、大人のパラグアイ人は「やれ」という割に自分たちが学ぼうという姿勢がない。
これはパラグアイの陸上のトップ選手も言っていることだから間違いない。
言い方は悪いけど、やりたいことはあるけど便利屋がいるから使おう、みたいな感じだ。

教え子は一度サポートで一緒に来たが、それ以来来ていない。多分嫌なのだと思う。体育の先生の卵がそう思っている現実を、今の先生は考える必要がある。
やってみて、そして終わってみて結局体育教育の中に陸上競技は残りませんでした、という結果も、それはそれでいいのかもしれない。
いらないということがわかるから。
誰もやりたくないのにわざわざやる必要はないと思う。
体育の中に陸上競技が絶対的に必要なわけではないから。
でも、せっかくやっているのだから、カウンターパートもやりたいと思ってやっていることなのだから、雑な計画を立てずに
「どうやったら学校体育に陸上競技を根付かせることができるか」
を考えてほしい。
もちろん日本のような整った環境があるわけじゃない。
でもぼくがもしここで陸上競技をするなら大した不満はない。
(日本の陸上競技選手だったらめちゃくちゃ不満があるかもしれない(笑))
そして、ここの子供はそういう環境で育ってきている。
寮生活という特殊な環境もあって、本当にしっかりしている。
頭を使って考えられる子供達。あとは大人次第かな、と思う。
今後、どうなっていくんでしょうね?
とりあえず、ここの学校の子供たちは4月29日に陸上競技の試合に出場する予定です。

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