「気遣い」が認められて、パラグアイのおばあちゃんの息子になれた話。

アスンシオンの家族とクリスマスを過ごした日、おばあちゃんから、

「あなた、好きよ」

「あなたは私の息子よ」

と言ってもらうことができました。

 

 

派遣前訓練では、「外国人には言葉で伝えないとわかってもらえない」という感じで勉強しました。

だから、気付いてほしいことや認めてほしいことはアピールしたほうが活動を進めたり人とのコミュニケーションを取ったりする上で大切だと思っていました。

もちろんそれは今も大切だと思っています。

日本では空気を読むという文化がありますが、日本でも伝えないと理解してもらえないことってたくさんあります。

パラグアイのおばあちゃんから「好きよ、あなたは私の息子よ」と言ってもらってから、パラグアイにおいても「空気を察する」ということがあるんだなと思いました。

 

 

アスンシオンにいるおばあちゃんは足が不自由で歩行器具を使ってでしか歩くことができません。その歩行器具がまた大きいから、床に何かあると歩けなくなってしまう。

そんな状況だとおばあちゃんは歩けません。仮に歩こうとして躓いてしまったら確実に怪我をします。

だからおばあちゃんが歩くとき、必ず気にかけていたんです。周りに物がないか、飼い犬がいないか、そういうことを。

おばあちゃんが椅子に座る時もそう。椅子が仮にズルっと滑ってしまったら大変なので、常におばあちゃんが座るときは椅子を固定してあげていたんです。

 

 

ぼくの言語力が低すぎてコミュニケーションは満足には取れません。

それでも言葉がいらない「気遣い」の気持ちが伝わったんだなと思いました。

 

言葉は通じないけど、「行動」が相手に伝わった。

 

 

あなたはわたしが移動するときにいつも周りを気にしてくれて手伝ってくれるわ。

私はあなたが好きよ。

あなたは私の息子。

 

 

ぼく自身は今まで過度な気遣いというんでしょうか、些細なことにも余計に気遣いをしてしまってそれが相手にとってしつこいんじゃないかっていつも悩んできました。

過ぎたるは及ばざるが如し。相手を強く思い過ぎるといつもそうなる。

気遣いをして結果的に相手を手助けできたとしても、いつも思うのは「実はそんなに必要じゃなかったんじゃないか」ということ。いつももやもやしてスッキリしなかったんです。

結局過度な気遣いが相手にとって負担になるのであれば、ぼくが考える「気遣い」は自分が望んでいるものではありません。

 

 

そして最近思うのです。

気遣いって、自分が相手に何か与えるためには相手の気持ちまでしっかり考えなければならないんじゃないかって。

与えるだけの気遣いはたぶん「お節介」で、相手の気持ちを考えての気遣いが本当の「気遣い」なんだって。

 

 

きっとぼくが今までしてきた気遣いの中にはお節介が入り混じっていて、だからもやもやした気持ちがあったのだと思います。

相手が求めていることを理解する、察することが気遣いには必要なのだと思います。

 

クリスマス。パラグアイのおばあちゃんの息子になることができた。

 

おばあちゃんに自分の気遣いを認めてらえて、正直嬉しかった。

別に気遣いを認めてもらうためにおばあちゃんを手助けしたわけではないのですが、最近もやもやしていたものが少し晴れた気がしたから。

気遣いをして相手にお礼を言わせることがゴールではなくて、気遣いをしたことで相手の状態がプラスになること。ただそれだけなんですよね。

見返りなんていらない。そんな無償の愛みたいなものが大切なんだって改めて気づかされました。

きっとぼくは心のどこかで「やってあげたのだから感謝してよ!」みたいな気持ちがあったのだと思います。見返りを求めていた、察してよ!という気持ちがあったからスッキリしなかったのだと思います。

 

 

確かに派遣前訓練で言っていた「海外の人は察することができない」ということは間違いではないと思います。

ただ、それは人によりけり。

「○○は✖✖だ」という関係じゃなくて、個人レベルで人を見たら本当にいろいろな人がいます。

海外の人は察することができないというけど、結局は日本人も同じ。伝わる人には伝わるし、そうじゃない人には伝わらない。ただそれだけのことなんです。

 

 

「現地の人達は自分がやろうとしていること、やっていることを理解してくれない」

実際理解してくれない人もいると思います。

ただ、自分がやっていることに対して一定の理解を示してくれる人もいるのを忘れちゃいけないと、今回の件で強く思いました。

 

 

自分のやっていることを理解してくれる人はきっといます。

海外の人は~~とかそういうのは関係ありません。

ただ目の前にいる人のことを真剣に考えて行動する。

そうすれば自分の気持ちって伝わるのだと思います。

 

 

ぼくはおばあちゃんの息子になることができました。

そして「気遣いとは何か」について自分なりに深く考えることができました。

 

 

伝わる人には伝わるし、伝わらない人には伝わらない。

ただそれだけのこと。

国境なんて関係ない。

見返りとかどうでもよくて、ただ目の前にいる人の気持ちを汲み取って行動することが「気遣い」なのだと思いました。

2017年9月から南米パラグアイで青年海外協力隊の陸上競技隊員として活動中。大学ではスポーツを専攻。日本でコーチング後、パラグアイでナショナルレベルまでの選手の育成強化・競技の普及活動、及び小学校体育教育を行っている。 趣味はカメラとトレーニング。ブログとSNSの更新頻度は多め。

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ABOUTこの記事をかいた人

2017年9月から南米パラグアイで青年海外協力隊の陸上競技隊員として活動中。大学ではスポーツを専攻。日本でコーチング後、パラグアイでナショナルレベルまでの選手の育成強化・競技の普及活動、及び小学校体育教育を行っている。 趣味はカメラとトレーニング。ブログとSNSの更新頻度は多め。