任地に来てからまだ間もなくて、どこに何があるのかも全然わからない状況。
とりあえずはカウンターパートと一緒に最低限の活動だけをやっている。
そんな時にカウンターパートから「○○やってくれないか?」とお願いされることやお誘いをされることがたくさんありました。
何も知らない状況だからこうやって声をかけてもらって自分では体験できないことをやれるというのは本当に恵まれていることだと思います。
事実、陸上競技の活動でもカウンターパートはたくさんのコネクションがあり、そのコネクションでぼくが参加できたものが2ヶ月の間で何回かありました。
その中で日本でも経験したことのない新しい世界を見ることができて、「あぁ、活動楽しいな。」って思うことができていました。

12月の頭に首都に上がってきて体育教育とスポーツの勉強会。

Noche de gala. 陸上競技の年締めの宴会。

優秀選手、指導者に表彰していました。前任ボランティアも表彰されていました。

4回目の首都で指導初心者に対して勉強会が行われました。
ただ、12月(活動2ヶ月目)は余りにもそういうお願いやお誘いが多くてものすごく心身ともに疲弊した月でもありました。
「チャンスが舞い降りてきたらそれを掴み取る。そうすれば新しい世界が見える。」というのは前々から本当に大切にしてきました。
ただ、それが自分のキャパシティを超えてしまうとドッと疲れが溜まってしまって何もする気になれなくなってしまうということを体験したんです。
ただでさえ慣れないスペイン語を使うことはとても頭を使います。そしてどこか新しい場所に行くと新しい出会いがあってまた新しい人間関係を築かなければなりません。
良いことも悪いことも一つ一つのイベントというものは精神的には同じようにストレスが溜まっていく。それが身に染みてわかりました。
12月は私情も含めて計4回首都へ。
自分にとっては大きなプラスになったものばかりです。改めてパラグアイの陸上のために頑張りたいなと思えたし、同期や同期ではない関係者とのつながりの大切さを感じることができました。
それでも身体の疲れとともに精神的にかなり磨り減ってしまい、いつの間にか楽しくなくて、ただ「こなしているだけ」という状態に。
たくさんのチャンスを頂いてそれに全部触れたはずでした。だけど「こなしているだけ」の状態で本当に大切なものを手に入れられたかというとそうじゃないのかなと思うのです。
ぼくの12月の活動は質より「量」。
量が質を生み出すこともあると思いますが、それは量に質が伴っている場合のみ。
12月にたくさん詰め込んでやった活動に質が伴っていたかといえばそうではないかなって思いました。
新しい活動やイベントがあるたびに、いつの間にか「またか・・・」という気持ちになってしまっていて。そんな気持ちではひとつのことに全力で取り組むことってできません。
「こなすだけ」の状態で「またか・・・」という気持ち。だけど話をどんどんくれる。
だから「それはやりたくないな」というのも断りきれずに全部YESと答えていました。そして結果として心身ともにかなり消耗してしまった。
Yesマンだったんですね。

カウンターパートに行ってほしいと言われた勉強会。実はもうこの時疲れすぎていて正直行きたくなかった。

任地では犬にも噛まれた。その関係で首都に上がって2回のワクチン接種を受けることに。
新しい活動や予定を入れると同時に今まであった時間というものが失われる。
予定とか、そういう何かに時間を支払っている、そんな感じでしょうか。
時間を支払い続ければ自分の持ち時間がなくなってしまいます。そうした時に本当に自分がやりたいと思っていた夢のような案件を持ちかけられたら、最重要なチャンスを掴めません。
チャンスにも大小があって、自分にとって本当に価値あるものを見分ける必要がある。
もちろん自分にとって価値がないと思っていることがものすごい価値があることだってあると思います。だからといってあれこれ無差別にとりあえずという気持ちでチャンスを手にしていたら、もう何が何だかわからなくなってしまうのではないでしょうか?
やりたくないこともあったけど「話をくれた!これはチャンスだ!」と思い込んで無理やりあれこれやった活動2ヶ月目。
そう。やりたくないけどそう思い込むことで乗り越えてきたんです。
けど活動って我慢してやるものではないし乗り越えていくものでもないと思うんです。
チャンスだと思ってもやりたくないことを続けていけるほど人の意思って強くない。思い込みを続けれるほど強くありません。
Yesマンになってハイハイ言って心身ともに疲れ果てて活動できなくなる。それは2年間という活動をする上で絶対にマイナス。流れが止まってしまうから。
誘われても断れば1ヶ月の中で触れられることは少しになるかもしれません。
それでも2年というトータルで考えたとき、自分がちょうど良く消化し吸収できる量と質のバランスが整った状態こそ、自分が楽しいと思える活動ができるのかなと思います。

自分にとって大切なことをハッキリさせる。だから必要なものかを取捨選択する力は大切。
量をこなして疲れ果ててやる気がゴッソリなくなってしまったからこそ考えることができました。
詰め込み過ぎると自分が自分ではなくなってしまう。そんな感覚は本当に苦しい。
そう感じたからこそ、自分にとってあくまでも大切なのは「自分らしくあること」だと思えたんです。
やりたいこと、やりたくないこと、人それぞれ持っているはず。
無理をするのではなく、青年海外協力隊で2年間不慣れな文化圏で生活・活動していくからこそ、もっと自分の欲にわがままになっていいと思いました。
青年海外協力隊の活動で「やらなければならないこと」なんてないんです。
ひとりひとりの活動にオリジナリティがあっていいはず。活動量が多い人もいていいし、そうでない人もいていいはず。
やりたくなければやらなくていい。その代わり本当に大切だと自分で思ったことは全力でやれるように、それまでに万全の準備をして挑む。
「やりたくないものはやりたくない」と言うことも長期的に見たら自分の活力になるはずです。
外に対する欲ではなく、もっと自分に正直に欲張りになる。
それがぼくのこれからの活動スタイルです。やりたくないものにはNo!と言える強い意思を示すことも大切なことだと思います。
気付きを与えてくれた同期には感謝の気持ちでいっぱいです。

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