先日、訓練所の近くのサービスエリアで財布を落としたものの、無事にお財布が手元に戻ってきてホッとしている、大村康太(@KotaOhmura)です。
ぼくは基本的に好きな時に好きなことをしたいタイプなので、かなりの割合でひとりでいることが多いです。
傍から見たら超絶寂しいやつ、あるいはおひとり様リア充なやつですが、そのおかげでぼくは自分がやりたいことをできています。訓練所の中でもほぼ好きなように生活できていると思います。
そんな感じのぼくですが、今日はたまたま空き時間があって同期隊員と話をしました。


話を聞いていると、
- 訓練生活の初期は集団と仲良くしようというような感じだったけど、時間が経つにつれて面倒になってきた。
- 集団に流されてしまって、今まで当たり前にできていたことができなくなってきた。
この2点で疲れがたまってきていることがわかりました。
あなたは、この派遣前訓練で自分にとって大切なものを失っていませんか?
この派遣前訓練で前進していますか?それとも後退していますか?
1.集団生活の罠
「最初は集団と仲良くしようとしたけど、今は集団生活に慣れてしまったせいで以前はできていたことができなくなっている。」と同期が言っていた。
確かに集団に馴染むことは必要かも知れない。だけど、それによってできていたことができなくなってしまったら良くないよ。もっと自分を大切にしようよ
— 大村康太@2017年JOCV駒ヶ根 (@KotaOhmura) August 4, 2017
もちろん仲間を作ることが一番大切っていう人もいると思う。だけど、そういう人こそ今一度考えてほしいです。
今のあなたは以前と比べて前進していますか?後退していますか?
自分の人生を後退させる人付き合いは百害あって一利なし。他人に流されないように、しっかりとした自分軸を作るべき。
— 大村康太@2017年JOCV駒ヶ根 (@KotaOhmura) August 4, 2017
集団生活のメリットは、仲間ができることだと思います。
仲間ができることで辛い状況でも仲間が助けてくれたり応援してくれたりする。あとは、日常生活でも寂しくない、楽しい、ってところでしょうか?
ただ、集団生活にはデメリットもあります。
集団生活に馴染んで仲間と親密になればなるほど、逆に心が苦しくなってしまう人もいるということです。
「友達だから何やってもいい、何言ってもいい」みたいな感じの人って結構多い。ぼくはそういうのが大嫌いなのですが、親密になった時に心が苦しくなってしまう原因っていうのは「距離感」の問題だと思います。
あとは、「友達だから」というよくわからない理由を引っさげて他人の人生にまで介入しようとしてくる人もいます。きつい言い方かもしれませんが、他人の人生にまで介入してこようとする人は仲間でも何でもありません。洗脳者ですよ。
そして、あまりにも関係性が近くなってしまうと自分の軸がぶれやすくなる。常に誰かがいる環境、べったりな状態って身動きがとりづらい。そうすると今度は自分から他人の人生を生きるようになってしまいます。
今回同期とお話させてもらって、まさしくこのデメリットによって疲れているんだろうなと思いました。
こういう疲れって体の疲れじゃなくて「心の疲れ」だから厄介ですよね。。
訓練所入所当初に張り切っていた人ほど、集団生活の理想と現実のギャップに苦しんでいるんじゃないかなって思います。
集団生活で仲間がたくさんできるとキラキラした充実したエンジョイライフを送ることができる?そんなことはありません。
なぜなら、「あなた自身を大切にできていないから」です。
2.集団生活が面倒くさくなる理由


その方はこう言いました。
訓練所に入所したばかりの時は期待より不安の方が大きい。
勉強、友達、集団生活、大丈夫だろうか。。。ほとんどの人がこういうことを思うと思います。
だから最初ってどうしても「頑張る」んですよね。それが落とし穴だと思います。
頑張るということはニュートラルな自分からかけ離れる行為。それを長期的にやったらニュートラルな自分に戻った時の反動が大きくなります。
誰しも一度はそういう経験ってあるんじゃないですかね。ぼくはありますよ。
それこそぼくの大好きな陸上競技でです。仲間やライバルが頑張っていたりメディアでこういうのがいいと紹介されたりすると、「よし!自分も頑張るぞ!」ってなります。そして次の日からいつも以上に頑張ります。だけど長くは続きません。
なぜなら、「よし!自分も頑張るぞ!」という想いは外的モチベーションだから。外から刺激を受けることも大切だけど、その刺激だけで頑張るということは「自分の奥底から沸き上がってくる想い」ではないので長期的に続けることはできません。
結果、すぐに途中でやめてしまうわけでうが、途中でやめると「頑張れなかった自分」を責めるようになります。自己嫌悪ですね。自己嫌悪に陥ると楽しくなくなるし疲れやすくなる。
だから、大学の時は気持ちの波が大きすぎたから調子の波も大きかったです。練習を頑張れなかった自分をこれでもかというくらい自己嫌悪でいじめていました。
よって、今は訓練所でいつもトレーニングに励んでいますが、全く頑張っていません。頑張らないようにしています。頑張らないことでその状態を維持すること自体が全くストレスにならないからです。
集団生活も同じ。
頑張って頑張って人間関係を作ってきた人ほどその反動でストレスが溜まるので、せっかく作り上げてきた人間関係やその人間関係を含む集団生活が面倒くさくなってしまうんです。
集団生活だから頑張らなければならないなんてことはないんです。
最初からいい自分を見せる必要なんてないんです。
むしろ自分らしさ、ありのままで生活していたら、そのうち自分と似ている人が寄ってきますよ。
頑張ってしまうから無理が生じてストレスが溜まるようになるし、気持ちの波が大きくなってしまいます。
3.できたことができなくなるということ

引用:旅の途上〜カヌー野郎のツレヅレ〜
同期はこんな事を言っていました。

なんか、周りに流されているような気がするんだよね。。
あぁなるほど。そうだよね。
人といることで、自分を出すことが難しくなってしまうってちょっとわかる気がします。実際、ぼくも大学生の時は人に合わせてしまっていたときは自分というものを常に隠していた気がするから。
無意識に他人の目を気にしてしまうのだと思います。そしてできることを抑えているからどんどんできなくなっていく。
何はともあれ、「できていたことができなくなる」ということは罪悪感というか、心にモヤモヤが残ります。
例えば若い時は痩せていたけど今は太っている。若かった時はプロポーションを維持できていたのに今は目を背けたくなるくらいの醜態。あぁ、もうめっちゃ嫌だ。
ダイエットで苦しんでいる人って一度はこんな事を考えたことがあるのではないでしょうか?
集団生活によって今まで自分ができていたことができなくなってしまうという心のモヤモヤとダイエットの心のモヤモヤは似ていると思います。理想と現実のギャップに苦しんでしまうんです。
いただきます、ごちそうさまができなくなった。それだけだろ?
って思う人もいるかもしれない。
だけど、よく考えてほしい。
自分がこだわりを持ってやってきたこと、その積み重ねが集団生活に馴染みすぎたことによって崩れ落ちてしまったら、それを誰のせいにしますか?
そうです。「集団」のせいにします。
集団のせいにする意味がわからないという人もいるかもしれませんが、実際問題、その人がそう思ってしまったら自分を後退させた犯人は「集団」なのです。
集団のせいにしたら、集団生活がきつくなるのは当たり前ですよね。
「お前らのせいだ」と思っているその中で生活していてストレスが溜まらないわけがありません。そして確実に消耗していきます。
さらにそういう思考が頭の中を埋め尽くしている状態って全く楽しくない。ストレスが住み着いている状態だから。全然ワクワクしない。
そんなワクワクしない状態で人と付き合っていてもただただ自分が苦しいだけです。
「できたことができなくなる」ということは後退です。
集団生活に馴染み過ぎて、ぬるま湯に浸かりすぎていると、いつの間にか自分が大切にしていたものがどんどんあなたから離れていきますよ?
それに気付けるならまだいい。気付くことのないまま訓練生活70日を過ごしたことそれ自体が成長と勘違いすることはとても残念なことだと思います。
4.集団生活で失うもの

まとめに入ります。
- ありのままの自分
- 今までできていたこと
- 自分の軸
この3点です。
今回話をしていただいた人の印象として、とにかく訓練所入所初期に頑張っていたなと思っていました。
「理想的な」というか「協力隊っぽい」というか、そんな印象がありました。
だけど、やっぱり無理をしている、ありのままの自分ではなく背伸びし続けるとキャパオーバーしてしまいます。
それが、その同期が言う疲れの正体なのだと思います。
集団生活があなたにとってプラスになっているのかを確認してほしいです。
プラスになっているのであればそれでいいと思います。
だけど、集団生活によって自分軸がブレてしまって訓練所入所前よりも後退してしまっている人は「頑張る」ということをやめてみてください。
訓練所にいるみんなと仲良くなる必要もないし、実際全員と仲良くならなくてもなんとかなります。勝手に時間は過ぎていきます。
そして無理して頑張らなくなるから、どんどん気持ちが楽になっていきます。
訓練生活が始まってから何回も言っていますが、大切なのは相手ではなく「自分」ですよ?
あなたはいつの間にか頑張りすぎていませんか?
頑張りすぎて疲れ切ってしまっているなら、その頑張りは「間違っている」ことに気づいてください。
