いま目の前に子どもがいたら、胸を張って大人の楽しさを語る。キミが夜な夜な空想していることはちゃんと叶うよって頭を撫でる。人生にはとんでもない可能性があることを伝える。それが嘘にならないような今を生きる。
— しみ @ぺーたーず (@shimi_yurutabi) 2018年4月15日
しみ(@shimi_yurutabi )さんのツイートを見て、大人が子どもに接するときに、どうしたらいいかを考えてみた。
いつの間にか現実に縛られすぎてしまって夢を見なくなった大人。
そんな固定観念をいつの間にか子どもに押し付けていないだろうか?
ぼくはしみさんの考えに深く共感した。
日本人はどうしても現実的だ。
挑戦して失敗するリスクを考えすぎる。
でも、今ぼくたちが受けている恩恵っていうのは「リスクを冒しながらも挑戦してきた人」のおかげであることを忘れちゃいけないと思う。夢を見たり挑戦したりしないと見えない世界ってやっぱりある。
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) 2018年4月15日
もちろん現実を教えることも必要だと思う。ただ、現実を教えることと夢を否定することは違う。
現実を教えるということは「可能性の提案」で、夢の否定はそのままだ。「世の中にはこんなこともあるんだよ」という、子どもにとっては未知の世界を示すことも子どもの可能性を広げることにつながる。
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) 2018年4月15日
一見すると子どもが言っていることはわけがわからないかもしれない。でも、それって現実世界を知りすぎている大人たちが到底思いつかないような発想だったりする。そんな多様性、可能性を「それは厳しいからやめなさい」というのは、何か大人が今の世の中の可能性を感じていないんじゃないかなと。
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) 2018年4月15日
そして、子どもが夢に向かって挑戦しやすいように、大人たちはそれを態度で示す必要がある。行動が伴わない言動に何の価値もない。大人たちの行動、挑戦する姿を子どもは見ている。だから「パパかっこいい!」って言うのだ。
子どもを応援すると同時に、夢を追う姿を子どもたちに見せることが大切。
— 大村康太@パラグアイ🇵🇾 (@KotaOhmura) 2018年4月15日
大人の人生のほうが楽しい
ぼくはそう思っている。
確かに今までの人生で厳しい現実を見てきているかもしれないけど、基本的に人生は積み重ねの連続だからだ。
ジーンズと同じだ。長く履いた状態ほど、そこに深みが出る。
子供の時よりも知っていることが多いから見える世界は広いし、多くの経験は人生に深みを出している。
そして大人は自由だ。子どもの時の家庭からの制限を受けなくていいから、自由にいろいろなことに挑戦できる。
その自由には責任も伴うけど、自分が主体となってやるからこそ、人生は楽しいのだ。
でも、
大人になって、今まで積み重ねてきた多くの経験を全部ネガティブに捉えたり、責任を重圧だと感じたりしていたら、人生をポジティブに捉えることができない。
本来は楽しいはずの人生を、自分の人生に対する解釈の違いでつまらないものにしてしまうのはもったいない。
そして、どうにでもなる解釈のマイナスな面を、夢や希望にあふれる子どもたちに押し付けてしまうのはいかがなものか?
ぼくたち大人は、成長する過程でいろいろなことを大人から教わってきた。
中にはマイナスなことを教えられた経験もあるかもしれない。
でも、そのマイナスな経験までもわざわざ次の世代に語る必要はない。
なぜなら、本来人生は楽しいものだから。
人生は自分自身で楽しいようにデザインできるものだから。
だから、どうせだったら次の世代には楽しいように生きてもらおうよ?
自分たちが子どもの頃に思った「こうじゃない」を、自分の人生をデザインしている途中の子どもに受け継がせない。
むしろ、ぼくたち大人はマイナスなことも知っていればプラスのことも多く知っている。
それを武器に、ポジティブで楽しい人生の生き方を子どもたちに見せよう。
大人が楽しいと思えない社会に子どもが明るい未来を見つけることなんてできない。
現実を知ることは大切かもしれないけど、ぼくたちの生きる目的は「楽しむ」ためだ。
そんな楽しむ姿を、子どもたちに姿で見せる。
これが大切なんだと思う。

子どもは「可能性を宿した花のつぼみ」。
そのつぼみに大人は水や肥料をあげよう。
子どもはぼくたち大人が見たことがない可能性を秘めてる。
見たことがない種類の花を咲かせる。
それが次世代の可能性だ。
そんな子どもの夢が育つように、大人は応援しよう。
人生はデザインできる楽しいもの。
自由なのだから、どうせだったら可能性と多様性のある楽しい未来を、子どもと一緒に大人も作っていこう。

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